ベンジャミン・ディズレーリとは?経歴や書籍も簡単に紹介

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ベンジャミン・ディズレーリ
イギリスの政治家、小説家です。

 

1804年12月21日にイギリスで生まれ
1881年4月19日に76歳で亡くなりました。

 

この記事では
ベンジャミン・ディズレーリについて紹介します。

 

目次

ベンジャミン・ディズレーリの経歴

子ども時代

作家の息子としてロンドンで生まれた
ベンジャミン・ディズレーリは、
イタリアからの移民のユダヤ人の家系でした。

13歳のときにイングランド国教会に
改宗し、17歳の頃からは
弁護士事務所で働くようになります。

その頃、処女作の小説
ヴィヴィアン・グレイ」を出版しますが
激しい批判を受けます。

 

議員選挙に出馬

その後も小説を執筆する一方で、
庶民院議員選挙に出馬するようになり
1837年に初当選を果たします。

 

保守党の党内反執行部小グループ
ヤング・イングランド」を結成し、
サー・ロバート・ピール内閣が
穀物自由貿易を行おうとした際には、
反対運動を主導します。

 

1868年に保守党党首であった
ダービー伯爵が病気で退任すると、
ディズレーリさんが継承する形で
保守党党首となり、二期にわたって首相を務めます。

 

首相としての活動

庶民院の過半数を
得られていなかった第一次内閣は、
短命の選挙管理内閣に終わります。

しかし第二次内閣では、
庶民院の過半数を制していたため、
トーリー・デモクラシー」と呼ばれる
一連の社会政策の内政と
帝国主義の外交を行って活躍します。

 

小説家としても活躍

第一次内閣のあとに行われた
総選挙で保守党が破れ、
グラッドストンさんに
首相職を譲って退任しています。

その間に執筆した
ロゼアー」という小説が
ベストセラーとなりました。

 

また、第二次内閣のあとの
1880年の総選挙で自由党が勝利し
グラッドストンさんが首相に返り咲いたとき
ディズレーリさんは退任します。

首相退任後に小説
エンディミオン」を出版します。

 

晩年

1881年3月から体調を悪化させた
ディズレーリさんは、4月19日に
ロンドンで亡くなりました。

 

ユダヤ人でありながら
保守党内で上り詰めることに成功し、
首相を2年間務めたベンジャミン・ディズレーリ

自由党の
ウィリアム・グラッドストンさんと
並んでヴィクトリア朝の政党政治を
代表する人物として後世にも名を残しました。

 

ベンジャミン・ディズレーリの著書

ベンジャミン・ディズレーリに関する著書で有名な本は「ディズレイリ」。

これは、ロバート・ブレイクが書いたベンジャミン・ディズレーリの伝記本です。

ディズレイリ

 

政治家であるとともに
小説作家でもあった彼の人となりや
活躍した時代、業績などを紹介しています。

 

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