ヘルマン・カール・ヘッセは
スイスの作家、文学者です。
1877年7月2日にドイツで生まれ
1962年8月9日に85歳で亡くなりました。
ヘルマン・ヘッセの経歴
ドイツ南部のカルフに生まれた
ヘルマン・ヘッセは、難関とされる
ヴュルテンベルク州立学校の
試験に合格するほど成績優秀でした。
14歳のときには、
マウルブロン神学校に入学しますが、
両親や教師たちから期待されている自分と、
なりたい自分が違うことに気がつき
悩み始め、学校を脱走してしまいます。
ヘッセは両親の牧師の知り合いから
悪魔祓いを受けますが、その後も
自殺未遂を図って神経科病院に入院するなど
不安定な精神状態に陥っています。
その後成長して
作家として活動していましたが、
第一次世界大戦の影響などもあり、
ヘッセはさらに精神的危機を経験します。
それまでは、ノスタルジックな雰囲気の漂う
牧歌的な作品が多かったヘッセですが、
「デミアン」執筆直後から作風は一変します。
それ以降は現代社会への強烈な批判や
人間が精神に抱えている問題などを
扱った作品が多く、ドイツ文学を
代表する作家といわれるようになります。
また、ヘッセの作品は
平和主義的面があったため、
ナチス政権から「時代に好ましくない」
というレッテルを貼られて
ドイツ国内の販売禁止対象に
なったこともありました。
ヘッセは風景や蝶々などの
水彩画もよくしたため、自身の絵を
添えた詩文集も刊行していました。
1946年にヘッセは
「ガラス玉演戯」などの作品が評価され
ノーベル賞とゲーテ賞を受賞します。
翌47年には生まれ故郷
カルフ市の名誉市民となります。
ヘルマン・ヘッセの著書
ヘルマン・ヘッセは
いくつもの著書を出しています。
ここでは2つの
著書を紹介します。
- 車輪の下
- デミアン
これらの著書について
以下で解説します。
車輪の下
「車輪の下」は
ヘルマン・ヘッセが書いた小説です。
ひたむきな自然児であるだけに
傷つきやすいハンスは、
周囲の人たちの期待に応えようと
勉強をし、神学校へ入学します。
しかし、
個性を持つ友人たちとの交流で
少しずつ自分の在り方に疑問を持ち始めます…。
個性の違う子供たちに
同じ教育を強いる社会に対する
疑問や苦悩が描かれた
ヘッセの代表的自伝小説です。
デミアン
「デミアン」は
ヘルマン・ヘッセの小説です。
小さな町の学校に通うシンクレールは、
些細な理由で悪童クローマーに
脅されますが、転校してきたデミアンに救われます。
デミアンがカインとアベルの逸話について
語った一言が、シンクレールに大きな影響を与えます。
学校で学ぶ勧善懲悪が正しいのか…
悪でいることが正しいときもあると
考えるデミアンが正しいのか…
揺れ動くシンクレールの心の動きや成長を、詩的な文章で描いています。