ナイチンゲールさんについて。

ナイチンゲール―現在の看護のあり方を確立した、イギリスの不屈の運動家 (伝記 世界を変えた人々)

フローレンス・ナイチンゲールさんは
イギリスの看護師です。

 

1820年5月12日にイタリアで誕生し
1910年8月13日にイギリスで亡くなりました。

 

この記事では
ナイチンゲールさんについて紹介します。

 

目次

ナイチンゲールさんの経歴

フローレンス・ナイチンゲール

裕福な家庭の元で誕生

ナイチンゲールさんの両親は
裕福なイギリス人の地主です。

当時、両親が新婚旅行をしている時に
トスカーナ大公国の首都フィレンツェで
ナイチンゲールさんは生まれました。

ナイチンゲールさんが受けた教育

幼少の頃、
両親はナイチンゲールさんの教育のために
多額の費用を費やしたそうです。

学んだ言語の種類は

  • フランス語
  • ギリシャ語
  • イタリア語
  • ラテン語

と言われています。

言語だけでなく、

  • ギリシャ哲学
  • 数学
  • 天文学
  • 経済学

など幅広い分野の勉強をしたそうです。

そしてナイチンゲールは、看護師の道へ

そのような教育を受けながらも
ナイチンゲールさんは、
「人々の役に立つ仕事に携わりたい」
と考えるようになりました。

 

ロンドンの病院へ就職した
ナイチンゲールさんは、
婦人病院長となります。

 

当時の看護師は、
専門的な知識は必要とされておらず、
病院の世話をする召使に近い存在でした。

しかし、ナイチンゲールさんは、
看護師にも専門的教育が必要だと考えます。

戦争中のナイチンゲールの活躍

1854年、クリミア戦争が起き
ナイチンゲールさんは自ら
看護師として従軍する決意を固めます。

 

始めの頃は
従軍として受け入れられませんでしたが
病院の不衛生な環境から変えていき、
傷病兵たちはとても励まされました。

それからナイチンゲールさんは
スクタリ病院の看護師の
総責任者として活躍します。

当時、彼女は病院内の
夜回りを欠かさなかったことから
ランプの貴婦人」と呼ばれたり
その働きぶりから
クリミアの天使」と呼ばれます。

ナイチンゲールや
他の看護師たちの働きのおかげもあり、
傷病兵たちの死亡率は
42%から5%にまで
下がった
といわれています。

戦争終結後のナイチンゲール

また、
クリミア戦争終結後も
ナイチンゲールさんは
病院の状況分析を始めます。

この状況分析によって
保険制度や陸軍全体の
組織改革へとつながりました。

そのためイギリスでは
ナイチンゲールさんを
統計学の先駆者と呼ぶこともあるそうです。

 

ナイチンゲールさんの著書

ナイチンゲールさんは
150篇ほどの膨大な著書を遺しています。

ここでは
ナイチンゲールさんの著書を
2つ紹介します。

  • 看護覚え書 健康とは病気とは看護とは
  • 看護覚え書 看護であること看護でないこと

これらの著書について
以下で解説します。

看護覚え書 健康とは病気とは看護とは

 

看護覚え書 健康とは病気とは看護とは」は
ナイチンゲールさんの書いた看護学です。

病人の看護と健康を守る看護
貧しい病人のための看護など
ナイチンゲールさんの論考が収録されています。

 

看護覚え書 看護であること看護でないこと

看護覚え書―看護であること看護でないこと

看護覚え書 看護であること看護でないこと」は
ナイチンゲールさんの書いた看護学です。

看護とは、新鮮な空気、陽光、
暖かさ、清潔さなどを適切に整えて
食事内容を適切に選択し与えること…
こういったすべてを患者の生命力の消耗を
最小にするよう整えることを意味する

このように
看護の原点や
看護の基本的原理などを学ぶことができます。

まとめ

ナイチンゲール (おもしろくてやくにたつ子どもの伝記)

この記事では
ナイチンゲールさんについて紹介しました。

 

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