哲学者「フランシス・ベーコン」の死因とは?経歴や書籍も簡単に紹介

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結論からいいますと
フランシス・ベーコンの死因は気管支炎です。

  • フランシス・ベーコンの誕生日:1561年1月22日
  • フランシス・ベーコンの命日:1626年4月9日

※フランシス・ベーコンの最期の年齢は65歳

 

哲学者「フランシス・ベーコン」の経歴

フランシス・ベーコンは
イギリスの哲学者です。

 

1561年1月22日にイギリスで誕生し
1626年4月9日に65歳で亡くなりました。

出生

フランシス・ベーコンは
エリザベス1世の国璽尚書
(こくじしょうしょ)を務めた
ニコラス・ベーコンの子として誕生します。

 

 順調に栄達

そんなフランシス・ベーコンは
12歳でケンブリッジ大学に入学し、
ロンドンのグレイ法曹院で法律を学びます。

そして23歳で、
エリザベス1世女王下に
国会議員となります。

 

52歳でジェームズ1世のもとで
司法長官となり、そして
最高地位である大法官になりました。

 

汚職の疑惑で失脚

しかし1621年、訴訟関係者から
賄賂を受け取ったという汚職の
疑惑で、失脚して隠居生活を送ります。

 

老いていてもなお、彼は探求心が強く
研究・実験をし続けます。

 

ある日、雪の日に冷蔵技術の実験として
鶏の腹に雪を詰めていた時に風邪をひき、
その後フランシス・ベーコンは気管支炎で亡くなりました。

 

哲学者「フランシス・ベーコン」の思想

フランシス・ベーコンは
経験、すなわち観測的・実験的な
自然探求を原理とした最初の
近代哲学者です。

これは近代自然科学の
基本的発想を確立したといえます。

また、これらのことから彼は
イギリス経験論の父」と呼ばれています。

 

ベーコンの思想として
知識は力なり」の名言や
イドラ」の概念が有名です。

この2つについてを
以下で簡単に解説します。

 

「知識は力なり」

ベーコンは古代ギリシアから続く
昔ながらの哲学には限界があると考えました。

昔ながらの哲学では、
誰かを言い負かすことはできても、
新しい発明や発見にはつながらない。

学問の本当の目標は、
人類の未来を変えるような
発明と発見にある、それが「力」であると考えました。

 

「イドラ」

また、ベーコンは
「人間は実験をしても、誤った原因で
認知してしまう恐れがある」と考えました。

人間にある偏見や先入観など、
偶像(イドラ)を取り除かねばならず、
そのイドラは4種類に分けられると考えます。

  • 劇場のイドラ…伝統など
  • 市場のイドラ…言葉や知識の混同
  • 洞窟のイドラ…偏見など
  • 人類のイドラ…錯覚、思い違いなど

 

哲学者「フランシス・ベーコン」の著書

哲学者「フランシス・ベーコン」
いくつもの著書を出しています。

ここでは2つ紹介します。

  • 学問の進歩
  • ノヴム・オルガヌム

これらの著書について
以下で簡単に解説します。

学問の進歩

学問の進歩」は
ベーコンの哲学本です。

彼の思想と方法に従って、
すべての学問領域にわたって
過去を点検し、未来の方向を示します。

 

ノヴム・オルガヌム

ノヴム・オルガヌム」は
ベーコンの哲学本です。

古代ギリシアの
アリストテレス論理学関係の
諸研究を批判し、新しい論理学の方法を提唱します。

「諸学の大革新」の要の部分として
大いに力を注いだ1冊です。

 

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