国分寺ってどんな寺?【歴史についてもわかりやすく解説】

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五智国分寺
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国分寺の誕生: 古代日本の国家プロジェクト (歴史文化ライブラリー)

国分寺(こくぶんじ/こくぶじ)とは
奈良時代に建立された寺院です。

 

741年に、聖武天皇
日本各国に建立を命じた寺です。

 

国分寺とはどんな寺か?
どんな歴史があるのか?などなど
国分寺について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。

 

国分寺とは?どんな寺?

国分寺を歩く (日本六十余州 全国分寺を完全収録)

国分寺(こくぶんじ)とは、
奈良時代の741年に
聖武天皇と光明皇后が考えて、
国ごとに建てらせた寺院です。

 

男僧が住む寺である国分僧寺
尼さんが住む寺の国分尼寺に分けられます。

国分僧寺の正式名称は、
金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)です。

国分尼寺の正式名称は、
法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)です。

 

国分寺の歴史

国分寺跡を巡る ~色なき風に誘われて 僧寺・尼寺全国一三七ヶ所の記憶~

ここでは
国分寺の歴史
解説していきます。

  • 国分寺建立の詔
  • 国分寺建立の経緯

国分寺建立の詔【国分寺の歴史】

奈良時代の中期、聖武天皇は
仏教による国家鎮護のために、
国分寺の建立を命じます。

 

それが741年(天平13年2月14日)に
出された「国分寺建立の詔」です。

 

その内容は、各国に
七重塔とお釈迦様の像を建てて
金光明最勝王経』と『妙法蓮華経』の
経文を書き写すこと(写経)を定めています。

他にも、僧寺には僧侶20人
尼寺には尼僧10人を置くなども定めます。

また国分寺を建てる場所は、その国で
最も良い場所を選ぶようにも命じたそうです。

 

この詔によって、全国
60余国に国分寺は建立されます。

ちなみに、
奈良県の東大寺
総国分寺となっています。

 

国分寺建立の経緯【国分寺の歴史】

聖武天皇が天皇となった724年頃、
日本では伝染病が大流行していて
多くの人々が病で倒れてしまっていました。

さらに、天候不順による食糧不足(飢饉)や
地震などによる自然災害も重なり、
とても不安定な状況が続いていたのです。

 

聖武天皇は、
災いが起こるたびに都を移したそうです。

 

そして乱れてしまった国を安定させるため
仏教の力を借りるべきだと考えます。

荒れ狂う世の中を仏教の力で納めよう、
という「鎮護国家思想」に傾いたのです。

 

聖武天皇は、国を仏教で守るためには
まず各地に寺を建てる必要があると考え、
741年に「国分寺建立の詔」を出します。

 

また745年に再び都を平城京に戻し、
東大寺と高さ約16mの大仏を造らせました。

 

聖武天皇とは
仏教に強くすがった天皇であり、
国分寺の建立や奈良の大仏を建てたことで
文化面でも大きな功績を残しました。

 

そして国分寺は、地方における
仏教文化発信の中心地となっていきます。

 

最後に

国分寺の誕生: 古代日本の国家プロジェクト (歴史文化ライブラリー)

国分寺とはどんな寺か?
どんな歴史があるのか?などなど
国分寺について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説しました。

少しでもあなたの参考になれば幸いです。

 

 

 

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