明智光秀の父親は明智光綱ではない!?【明智光秀の父の正体について】

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謎の多い明智光秀

明智光秀の父親は誰なのか?

その真相についても謎が残っているため
さまざまな人物の候補が挙がっています。

 

今回この記事では
その明智光秀の父親について
詳しく調べてまとめてみました。

明智光秀の父親について【4人の候補】

明智光秀の出身について
清和源氏の土岐氏支流である
明智家に生まれたとされていますが、
明智家の詳しいルーツはわかっていません。

 

そのため、
明智光秀の父親は誰なのか?
実ははっきりとわかっていないのです

 

江戸時代の諸系図などによると
明智光秀の父親の候補として
4人の名前が挙げられています。

明智光秀の父の候補
  • 明智光綱
  • 明智光国
  • 明智光隆
  • 明智頼明

 

明智家は、清和源氏の
土岐氏支流とされていますが、
清和天皇から別れた氏族や
清和源氏の流れに属するも
土岐氏よりさらに支流だとも言われています。

 

土岐氏自体は名門家系で、
室町時代の室町幕府のときでは
各国の政治や警備を司る守護を務める家柄でした。

しかし、
上で挙げられた4人の名の中には
実は明智光秀の父親はいなくて、
歴史上で名が残らないような
身分の低い家柄だったのでは?
とも考えられています。

 

明智光秀自体が多くの謎に包まれているため、
その父親の真相を掴むことは難しいでしょう。

 

現在、最も明智光秀の父親として
有力視され名前が挙げられるのが
「明智光綱(あけち みつつな)」です。

明智光綱(あけち みつつな)とは?【明智光秀の父について】

 

明智光秀の父親とされる明智光綱について
「明智氏一族宮城家相伝系図書」によると
もともとの名前が「光隆」だったのを、
のちに「光綱」へと改名したと記されています。

明智光綱は、美濃の東側に住んでいたそうです。

明智光綱の父「明智光継」が隠居すると
美濃明智城に入って明智家の家督を継いでいます。
※美濃(みの)の場所:岐阜県

斎藤道三に仕えていたようですが、
斎藤義龍による美濃明智城攻めの時、
明智光秀の父親候補である明智光綱は
死亡した可能性があるとされています。

 

明智光秀の父親候補「明智光綱」が亡くなった後

明智光綱が亡くなった時期は、
明智光秀がまだ幼いころだったそうです。

そのため、明智光秀が成人するまでの間
明智光秀の叔父である明智光安
明智家の家督を相続したと伝えられています。

やがて、明智光安も
斎藤義龍の仲間である
揖斐光就・長井道利らに
明智城を攻められ自害へと追い込まれます。

その際に子の明智秀満に
明智光秀を託して城を脱出させるも
明智光秀は本拠地を失うことになり
浪人となってしまったそうです。

浪人となり困窮する生活の中、
妻の煕子が自身の髪の毛を売って
お金を用立て明智光秀を助けたことは有名な話しです。

 

最後に

明智光秀の父親について
はっきりとした史料が残されておらず
真実はわからないままです。

 

しかし、最も多くの情報が残された
「明智光綱」が明智光秀の父親として
現段階では1番有力だと言われています。

明智城が攻撃され、
明智光秀は何度も危険な目に遭遇するも
明智光綱や叔父の明智光安らに助けられ、
「三日天下」と言われますが
天下を勝ち取った将軍へと成長しました。

こんな立派な姿になった明智光秀を
守り抜いた父親たちはさぞ誇りに思っていることでしょう。

 

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