細川ガラシャ(明智玉)とは?どんな人?【明智光秀の子ども(娘)】

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細川ガラシャ(明智玉)は
戦国時代(室町時代後期)から
安土桃山時代までを生きた女性です。

  • 誕生時期:1563年
  • 死亡時期:1600年8月25日

細川ガラシャ(明智玉)は
明智光秀の子ども(娘)として
とても有名な人物です。

 

細川ガラシャとはどんな人だったのか?
この記事では細川ガラシャについて
なるべくわかりやすく解説していきます。

 

細川ガラシャの生涯をざっくり解説

戦国人物伝 細川ガラシャ (コミック版 日本の歴史)

明智玉(細川ガラシャ)の誕生日

細川ガラシャは、明智光秀
煕子との間に生まれた子どもです。

細川ガラシャの名前は
明智玉(あけち たま)です。

※「珠」「玉」「玉子」「珠子」
という名で紹介されることも多いです。

 

詳しい誕生日は不明ですが
室町時代後期の1563年(永禄6年)に、
越前国で玉は誕生したとされています。
※越前国の場所:福井県

明智玉(細川ガラシャ)の子ども時代

細川ガラシャの幼少期について
詳しいことはわかっていません。

明智玉(細川ガラシャ)と織田信長

明智玉(細川ガラシャ)は
1578年の15歳の時に
織田信長の勧めによって
細川忠興と結婚しました。

※ちなみにこの時、織田信長は
細川ガラシャの父「明智光秀」の主君です。

明智玉(細川ガラシャ)と細川忠興の子ども

明智玉と細川忠興の間には
5人の子供がいたとされています。

1579年に長女が生まれ、
翌年には長男の忠隆(長岡休無)が誕生します。

 

明智玉(細川ガラシャ)と本能寺の変

1582年(天正10年)に
父である明智光秀が本能寺の変を起こし、
君主織田信長を討ってしまったことで
明智玉は「逆臣の娘」となってしまいます。

本来であれば、
細川家から離縁される状況でした。

しかし夫である細川忠興は
明智玉(細川ガラシャ)を離縁にはせず、
逆臣として狙われるのを防ぐために
丹後(たんご)へ幽閉したとされています。
※丹後の場所:京都府北部

 

やがてほとぼりが冷め、
明智玉(細川ガラシャ)は大坂の
細川屋敷に戻ることができたそうです。

そこからというもの、
細川忠興は2人の家臣に
明智玉(細川ガラシャ)の様子を
昼も夜も見張らせたそうです。

明智玉(細川ガラシャ)と接する者は限らせ、
伝言すら簡単には受け取れない
かなり束縛された状況だったといわれています。

 

明智玉(細川ガラシャ)とキリスト教

明智玉(細川ガラシャ)は出家した舅である
細川藤孝とともに禅宗を信仰していました。
※舅(しゅうと):夫の父親

その後、明智玉(細川ガラシャ)は
キリスト教に興味をもち始めます。

きっかけは、
キリシタン大名であった
高山右近の話だったそうです。

そして1587年(天正15年)、
細川忠興が九州へ出陣した際に
明智玉(細川ガラシャ)は
身を隠してキリスト教の教会を訪れます。

その場で洗礼(せんれい)を受けることを
明智玉(細川ガラシャ)は強く望みますが
その望みは結局かなわなかったそうです。
※洗礼:キリスト教に入る時に行う儀式みたいなもの

 

それ以降は外出することができず、
明智玉は洗礼を受けないまま、
侍女を通じた教会とのやりとりや
書物を読むことでキリスト教について
こっそりと勉強をしていたそうです。

のちに自邸で洗礼を受けることができ、
ガラシャ」という洗礼名を受けることに成功。

しかし、九州から戻った細川忠興は
勝手にキリシタンになったことを激怒します。

キリスト教から遠ざけそうとしますが
明智玉(細川ガラシャ)は頑としてきかず、
ついに細川忠興も黙認したとされています。

 

明智玉(細川ガラシャ)の最期

1600年(慶長5年)、
細川忠興は徳川家康に従って
会津の大名である上杉景勝征伐に出兵しました。
※会津の場所:福島県の西部

その際、細川忠興は家臣たちに
「自分が不在の時に妻に危険が及んだら、
まず妻を殺して全員切腹せよ」と命じたそうです。

 

細川忠興が出兵している隙に、
細川ガラシャを人質に取るため
石田三成が動きだします。

細川ガラシャは拒絶しますが
石田三成が実力行使にでようと
兵に屋敷を囲ませました。

家臣たちが細川ガラシャに全てを伝えると、
屋敷内の侍女や婦人たち全員を外へ逃します。

その後、家臣の小笠原秀清が
明智玉(細川ガラシャ)を切腹し、
遺体が残らぬようにするため
屋敷に爆薬を仕掛け火を放った後、
自刃したと伝えられています。

 

最後に

[ガラシャ物語14]味土野にて/京都フラワーツーリズム編

明智玉(細川ガラシャ)は
父である明智光秀に似て
とても芯の強い女性だったのではないでしょうか。

 

もともとは
気位の高い女性であったようですが、
キリスト教に改宗したことで
心穏やかな女性になったと言われています。

夫からの監視などによって
思い詰めていた彼女の心を
救ってくれたのかもしれませんね。

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