明智光秀の兜(かぶと)について。
戦国武将たちにとって兜は
頭を守るためだけではありません。
今でいうファッションの一部のように
その当時はそれぞれ、
兜に個性的なものを付けていました。
この記事では
明智光秀の兜(かぶと)についてや、
兜の意味や構造についても紹介していきます。
黒漆鬼喰形大瓢箪脇立兜【明智家の兜】
明智光秀の兜(かぶと)は
「黒漆鬼喰形大瓢箪脇立兜」
という鉄製の兜でした。
黒漆塗でひょうたん型の長い2本角が特徴的です。
この明智光秀の兜は現在、
個人が所有している物とされ
展示等されておらず見ることはできません。
兎耳頭高兜【明智家の兜】
明智家で有名な兜と言えば、
明智光秀の従兄弟で重臣であった
明智光春(左馬助)の「兎耳頭高兜」です。
この兜は
東京国立博物館で見ることができます。
その当時、
「お月様信仰」があったとされており
「ウサギ=月」ということで、
兜にウサギの耳を象り
正面には月が描いてあります。
また、
ウサギというのは大きな耳で
素早く情報を集めて走るのも速く、
後ろ向きには走れない動物だと思われていました。
そのため、
戦う武将たちにとって
縁起の良い動物だと考えられ、
ウサギを選んだものと推測されています。
兜の意味
兜というのは武将たちにとって
最も重要な頭部を守るためのものでした。
また、
頭部を守る以外にも
次のような理由も考えられています。
- 威厳や地位を示すため
- 戦場で目立つため
- 勇気を奮い起こすため
- 余裕を見せるため
戦国時代に入る前の16世紀、
室町時代後半頃には
鉄の上に漆で革や紙を貼り重ねる
個性的な立物に仕立てることが流行し始めていました。
なかでも「変わり兜」と呼ばれる
動植物や地形・神仏など
あらゆるものをモチーフにした
様々な形をした兜があります。
明智光秀の
「黒漆鬼喰形大瓢箪脇立兜」も
変わり兜に該当します。
ウィキペディア(Wikipedia)によると
「変わり兜」は次のように記されます。
変わり兜とは、
頭形兜(ずなりかぶと)、
突盔形兜(とっぱいなりかぶと)等の
鉢自体に装飾を施した兜。当世具足の兜(当世兜)の1つとして、
慶長年間をピークに室町時代末期から江戸時代初期にかけて流行した。「形象兜」「形兜(なりかぶと)」とも呼ばれる。
兜の構造について
兜というのは
各部位ごとに細かく名称が分けられ、
多くの部品から成り立っています。
- 立物(たてもの)
- 兜鉢(かぶとばち)
- 吹返(ふきかえし)
- 錣(しころ)
- 目庇(まびさし)
- 面頬(めんほお)
立物(たてもの)
立物は平安時代以降の兜に
取り付けられるようになった装飾物のことです。
取り付け位置は様々で、
衝撃を受けた際に外れやすくすることで
頭へのダメージを和らげる効果があったようです。
兜鉢(かぶとばち)
兜の主要部分で、頭部を覆う場所にあたります。
形状によって大きく分けて4種類ありました。
- 頭形(ずなり)兜
- 筋兜
- 桃兜
- 星兜
吹返(ふきかえし)
吹返の目的は
刀が当たらないように顔を守るためや
甲冑師の細工技術を披露するために付けられたとされています。
錣(しころ)
兜鉢の後方に取り付けられる板のことで、
目的としては
刀や矢から首筋を守るために付けられました。
取り付けられる板の枚数によって
呼び名が変わり、
3枚の場合は3枚兜、
5枚の場合は5枚兜といったように呼ばれていました。
目庇(まびさし)
目庇は帽子でいうツバの部分で、
日差しや雨を遮ることや
刀から額を守るという目的で付けられました。
目庇には主に3種類ありました。
- 付眉庇(鉢に板金を鋲留めしたもの)
- 出眉庇(鉢から斜め下方向に突き出たもの)
- 直眉庇(垂直に突き出たもの)
面頬(めんほお)
面頬には
顔を隠すことで相手を威圧する効果や
刀から顔面を守るいう2つの意味がありました。
覆う面積によって呼び名が異なり、
主に4つに分けられていました。
- 総面(顔全体を覆う)
- 面頬(鼻から下を覆う)
- 半頬(アゴのみを覆う)
- 半首(額から頬を覆う)
最後に
明智光秀の兜(かぶと)は
当時流行していた変わり兜で
ひょうたん型の長い角をあしらっていました。
どのくらいの大きさで
どのくらいの重さがあったのか、
また他にもどんな特徴があったのかなど
気になることはたくさんありますが
資料も少なく展示もないため見ることもできません。
兜は個人所有品とのことなので
いつの日か見られるときがくるといいですね。