坂本城ってどんな城?明智光秀が建てた城?【坂本城の歴史や観光での見どころも紹介】

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坂本城とはどんな城なのか
あなたは知っていますか?

 

いつごろ建てられた城なの?
誰が建てたの?

この記事では
坂本城の歴史や、
観光での見どころについてわかりやすく紹介していきます。

 

坂本城とは?

坂本城は1573年(天正元年)、
近江国滋賀郡坂本に建てられた城です。

現在でいうと、
滋賀県大津市の北郊に位置しています。

坂本城の西側には比叡山の山脈があり、
東側は琵琶湖に面していました。

そのため、
天然の要害を備えた
立地の良い場所を選んで建てられたと伝えられています。

 

坂本城の歴史

坂本城は明智光秀によって築かれた城です。

1571年(元亀2年)9月、
織田信長による比叡山焼き討ちの後、
中心実行部隊として活躍した明智光秀
近江国滋賀郡が与えられたことがきっかけです。

 

この坂本の地に城を建てたのには
4つの理由が考えられています。

  • 比叡山延暦寺の監視
  • 琵琶湖の制海権の獲得
  • 港町であったため物資輸送に便利
  • 交通の要所として栄えていた

 

坂本城は明智光秀の居城ということもあり、
大小2つの天守をもつ
非常に立派な城であったと伝えられています。

 

しかし、
1582年(天正10年)6月2日
本能寺の変ののち、
山崎の戦いで明智光秀の敗戦を知った
明智秀満が天守に火を放ち、
明智光秀の妻子とともに落城しました。

 

その後、
山崎の戦いで戦勝した羽柴秀吉が
丹羽長秀に再建を命じ、
賤ヶ岳の戦いの軍事上の基地として使われたそうです。

1586年(天正14年)には
当時の城主であった浅野長政が
大津城を築城し居城すると坂本城は廃城となりました。

 

坂本城を観光しよう【見どころを紹介】

宣教師のルイス・フロイスの
著書である日本史によると
「明智の築いた城は豪壮華麗で
信長の安土城に次ぐ城である」と記されています。

しかし、
1586年に廃城となり、
城自体はなくなっていますが
現在、その跡地付近で観光できる
見どころスポットを3つ紹介します。

  • 坂本城址公園
  • 坂本城本丸の跡地
  • 西教寺

 

坂本城址公園

坂本城址公園は琵琶湖のほとりに位置し、
いつでも入ることのできる公園です。

かつての坂本城が位置した場所とは
少し離れてはいますが、
坂本城の歴史を語り継ぐための石碑や、
当時の明智光秀も見ていたであろう琵琶湖の風景を楽しむことができます。

また、
琵琶湖の渇水時には
湖の中に残る石垣を見ることができます。

しかし、
現在では水位が管理調整されているため
12月頃の水位50cmほどになる日でないと
石列を見ることができないそうです。

 

坂本城本丸の跡地

坂本城本丸の跡地は
電子計測器メーカーの研修所となっているため
敷地内に入ることはできません。
しかし、
入り口付近に石碑が設置されています。

その石碑には
当時の発掘調査で初めて
坂本城本丸の石垣や石組井戸、
礎石建物などを発見したことが記されています。

その後にも
大量の瓦、壺、碗、鉢などや
中国から輸入されたと思われる
青磁、青白磁、白磁などの遺物も発掘されています。

 

西教寺

西教寺の正しい名称は
「天台真盛宗総本山戒光山兼法勝西教寺」といい、
聖徳太子が恩師である高麗の
僧慧慈、慧聡のために創建されたと伝えられています。

西教寺の総門は
坂本城の移築城門であったとされ、
また、
明智光秀とゆかりのある寺院であったことから
様々な関連文書が残されており、
他にも著名人物の墓が寺院境内にあります。

 

最後に

坂本城は明智光秀が建てた立派な城でしたが、
実在した期間がわずか15年ととても短いものでした。

今はその姿を見ることができませんが、
跡地周辺が公園となっているため
観光しやすい場所となっています。

もし坂本城を訪れるのであれば
明智光秀の歴史について知っておくとより楽しめます。

 

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