明智光秀の出身地について。【明智光秀が生まれた場所や育った場所はどこ?】

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明智光秀のことについて
織田信長に仕える前の情報は
詳しくわかっていません。

 

そのため
明智光秀に関する多くの逸話は
軍記物などのフィクションや
後世に書かれたものだと伝えられています。

 

この記事では
明智光秀の出身地について
詳しくまとめていきます。

 

明智光秀の出身地について【生まれた場所や育った場所】

歴史旅人 Vol.5【明智光秀の謎】 (晋遊舎ムック)

明智光秀は美濃国で生まれた可能性が高いです。
※美濃国の場所は、現在の岐阜県南部です。

しかし、詳しい地域まではわかっていません。

明智光秀の出身地として
次の2つの地域が有力視されています。

  1. 岐阜県可児市広見・瀬田
  2. 岐阜県恵那市明智町

※この2つが有力とされながらも
他にも明智光秀の出身地として
名乗り出る地域も多く存在しています。

岐阜県可児市広見・瀬田【明智光秀の出身地の候補】

明智長山城跡写真集 ~Akechinagayama Castle~

明智光秀の出身地として
もっとも可能性が高いとされている場所は
岐阜県可児市(ぎふけん かにし)です。

岐阜県可児市の瀬田長山は
長山城(明智長山城)があった場所です。

この長山城(明智長山城)の近くには
明智荘(あけちそう)という荘園があり、
ここで明智光秀が生まれ育ったといわれています。

明智長山城の城跡近くには
明智光秀の産湯に使われた井戸もあったそうです。

 

岐阜県恵那市明智町【明智光秀の出身地の候補】

明智光秀の出身地の候補である
岐阜県恵那市は現在でも町名に「明智」の名が付きます。

岐阜県恵那市にある明知城(白鷹城)は
明智光秀のゆかりの地だと伝えられています。

明知城(白鷹城)の城内には

  • 光秀学問所(天神神社)
  • 光秀産湯の井戸
  • 母・お牧の方の墓

があります。

 

また、近くの龍護寺(りゅうごじ)には
明智光秀の供養塔が建てられています。

 

この岐阜県恵那市では毎年「光秀まつり」が行われ、
龍護寺に伝わる「光秀の直垂(ひたたれ)」をみることができます。
※直垂(ひたたれ):主に武家社会で用いられた男性用衣服

 

まだまだある?明智光秀の出身地の候補

明智光秀の出身地は
美濃国(岐阜県南部)である可能性が高い。

しかし、その地域以外でも
明智光秀の出身地として
名乗り上げている地域があります。

  • 山県市中洞
  • 瑞浪市土岐町
  • 大垣市上石津町多良

岐阜県山県市中洞【明智光秀の出身地の候補】

山県市中洞の白山神社には
明智光秀の「うぶ湯の井」と「墓」があるとされています。

 

岐阜県瑞浪市土岐町【明智光秀の出身地の候補】

瑞浪市土岐町一日市場にある八幡神社には、
かつて美濃源氏の土岐氏の居館があり、
ここでも「産湯の井戸」があったと伝わっています。

 

岐阜県大垣市上石津町多良【明智光秀の出身地の候補】

大垣市上石津町多良にあった「多羅城」は
明智光秀が生まれたという記録文書があります。

 

明智光秀の出身について【家柄】

明智光秀は、
美濃国(岐阜県南部)を中心に栄えた
軍事貴族の系統である土岐明智氏の出身です。

 

まとめ

明智光秀の出身地について
その真実は誰もわかりませんが、
「可児市広見・瀬田の方が有力」
だという情報が多く残っています。

 

ちなみに、恵那郡明智町は
明智遠山氏ゆかりの土地であって、
土岐明智氏とは関わりがないとされています。

 

また、
明智光秀が信頼していたとする
溝尾庄兵衛や可児左衛門、
肥田玄蕃などの家臣たちが
可児市広見の出身だということも伝えられています。

 

そのため、明智光秀の出身地は
可児市広見という意見が多くありますが、
出身の地だとしても
本当に長山城(明智長山城)で生まれたのかどうかは定かではありません。

 

 

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