田辺城(別名:舞鶴城)とは?【歴史や田辺城跡の見どころなども紹介】

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田辺城とはどんな城なのか
あなたは知っていますか?
※田辺城の別名:舞鶴城(ぶがくじょう)

 

この記事では
田辺城の歴史についてや
今も残る田辺城跡の見どころについて
わかりやすく紹介していきます。

 

田辺城とは?

田辺城は
1579年(天正7年)丹後国であった
現在の京都府舞鶴市に建てられた平城です。
※平城とは平地に築かれた城のこと

最初の築城は、
鎌倉幕府や室町幕府の
八田守護所(丹後守護所)の後身で、
後に細川藤孝(幽斎)・忠興親子によって建てられました。

 

田辺城の歴史

田辺城の歴史について
3つの時代に分けて解説していきます。

  • 安土桃山時代
  • 江戸時代
  • 明治以降

 

安土桃山時代

1578年(天正6年)、
織田信長の指示によって
細川藤孝(幽斎)と明智光秀らは
守護大名の一色義道の本拠地である
建部山城を攻撃して陥落させました。

丹後を制圧した藤孝(幽斎)は
初めは丹後・八幡山城に入りますが
すぐに宮津城を築城します。

その後、
京都に近く交通の要所であった
旧丹後守護所の八田の地名を田辺と改め、
田辺城を築き本拠地としました。

1582年(天正10年)、
本能寺の変明智光秀が信長を討つと
隠居した藤孝(幽斎)は宮津城へと移り、
子の細川忠興が田辺城主となります。

 

江戸時代

1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いが始まると
忠興は石田三成率いる西軍の誘いを退け、
徳川家康率いる東軍の援軍としてつきました。

隠居する藤孝は
宮津城では西軍の攻勢を防げないと考え、
宮津城を焼き払い田辺城へ入城し西軍を迎え撃ちます。

三成の親族にあたる小野木重勝や
豊臣家の重臣であった前田玄以の子
茂勝が率いる西軍1万5千人に包囲され、
50日にも及ぶ戦となりました。
これを「田辺城の戦い」といいます。

 

この戦いで
「古今伝授の書」が
戦火で忘却されるのを恐れた藤孝は
後陽成天皇へ献上しました。
※「古今伝授の書」とは、
天皇や上皇の命により編集された歌集
「古今和歌集」の解釈を秘伝とし師から弟子に伝えたもの

これにより、
藤孝の戦死を心配した後陽成天皇は
仲介に入って西軍に攻撃をやめさせ、
藤孝は命を助けられます。

そして田辺城を開城した藤孝は
茂勝の丹波亀山城へ入りました。

 

その後、
細川家は豊後・中津城に39万石で移封しました。

代わりに京極高知に
丹後一国12万3千石を与えられ
田辺城へ入城するも宮津城を再築し、
宮津城へと本拠地を移しました。

このとき宮津城再建のために
田辺城の建造物を移築したそうです。

 

京極高知の遺言により、
嫡男・高広が宮津藩(宮津城)で7万5000石、
次男・高三が田辺藩(田辺城)にて3万5000石、
養子・京極高信が峰山藩を1万3000石、分割相続しました。

 

田辺藩主となった高三は
荒城していた田辺城を再興し、
京極氏で3代続いた後、豊岡藩へ転封となります。

1668年(寛文8年)、
田辺城には牧野氏が3万5000石で入封すると
大手門やその他の城門・石垣などが改築され、
代々受け継がれ繁栄させました。

 

明治以降

明治時代に入ると、
1869年(明治2年)に版籍奉還が行われます。
※版籍奉還(はんせきほうかん)とは、
全国の藩が所有していた土地と人民の籍を朝廷に返還した政治改革のこと

これにより、
紀伊田辺藩との同一藩名を解消するため
太政官より田辺藩の名称変更が命じられると
田辺城の別名舞鶴城に因んで舞鶴藩に改称しました。

しかし、
1873年(明治6年)に廃城となり、
その後に本丸跡は公園として整備されました。

 

1940年(昭和15年)に
二重櫓の彰古館(しょうこかん)が再建され、
1997年(平成9年)には復興された城門に
田辺城資料館、天守台石塁などが作られて現在に至ります。

 

田辺城跡の見どころ

田辺城跡地は石垣と天守台を中心に
舞鶴公園として整備されています。

櫓門の北隣にある堀は内側から
本丸堀、内堀、外堀と3重で、
二重櫓は文化資料館(彰古館)が建てられました。

復元された城門の櫓2階部分は
歴史博物館になっています。

田辺城の歴史に関するパネル展示や
城主家に伝わる品々が展示されているため、
当時の貴重な品物を目にすることができます。

 

最後に

田辺城は数々城主が入れ替わるも
明治時代まで残る貴重な城でした。

舞鶴公園の中に復元されたものもありますが、
公園外にもいくつか田辺城の
移築門などが残っているため、
周辺の散策も楽しめるかもしれません。

数々の戦国武将が関わった田辺城を
ぜひ一度見学してみませんか?

 

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