ニーチェの死因とは?精神病?【生涯(最初から最期まで)もわかりやすく簡単に解説】

結論からいいますと
ニーチェの死因は肺炎による病死です。

しかし実は、死亡する約10年前の1889年から
ニーチェは発狂して精神病院へ入っています。

そして1900年8月25日、狂気の最中、
肺炎を患って55歳で亡くなりました。

  • ニーチェの誕生日:1844年10月15日
  • ニーチェの命日:1900年8月25日

※ニーチェの最期の年齢は55歳

 

つまりニーチェの根本的な死因は
精神病といえるのかもしれません。

 

ニーチェは精神がおかしくなり発狂し
その後から執筆活動も終了しています。
※ニーチェが45歳の時(1889年)

目次

ニーチェはどんな人だった?【生涯(最初から最期まで)をわかりやすく簡単に】

この人を見よ

フリードリヒ・ニーチェはドイツの哲学者です。

 

1844年10月15日
プロイセン王国で誕生し
1900年8月25日に55歳で亡くなりました。

 

以下でニーチェの生涯(最初から最期まで)についてわかりやすく簡単に解説します。

 

ニーチェの才能

ニーチェは
音楽と国語に関して
特に才能があったと言われています。

ニーチェの学生時代

ニーチェは
名門校プフォルタ学院に入学します。

学院時代は、
古代ギリシアや
ローマの古典・哲学・文学などを学び、
模範的な成績を残します。

 

その後、
ボン大学へ進み、
神学部と哲学部に籍を置きます。

ニーチェの転機

しかしニーチェは
ダーヴィト・シュトラスさんの
イエスの生涯」の影響を受け
キリスト信仰を放棄し、
神学の勉強も辞め、母親と大喧嘩をします。

その後ボン大学から
ライプツィヒ大学へ転学し、
ここでニーチェの思想を
形成する上で大きな出会いが2つありました。

  • ショーペンハウアーの作品との出会い
  • リヒャルド・ヴァーグナーとの出会い

ショーペンハウアーの作品との出会い

今を生きる思想 ショーペンハウアー 欲望にまみれた世界を生き抜く (講談社現代新書100)

 

一つは、ショーペンハウアーの書物
意志と表象としての世界」との出会いです。

ショーペンハウアー全集〈7〉意志と表象としての世界 (1974年)

ニーチェはこの作品の虜になりとても影響を受けます。

 

リヒャルト・ワーグナーとの出会い

リヒャルト・ワーグナー:楽劇「ニーベルングの指環」管弦楽曲集

もう一つは、友人の紹介で
リヒャルト・ワーグナーと出会ったことです。

リヒャルト・ワーグナーは、
別名で「楽劇王」とも呼ばれている
ドイツの有名な作曲家です。

リヒャルト・ワーグナーは1813年に誕生し、1883年に死去しています。

ニーチェは
1844年10月15日

プロイセン王国で誕生し
1900年8月25日に55歳で亡くなりました。

なのでリヒャルト・ワーグナーは
ニーチェの先輩にあたる存在です。

 

大学卒業後のニーチェ

大学卒業後は、
バーゼル大学の古代ギリシアに
関する古典文献学を担当します。

希望の哲学担当ではありませんでしたが、
この職場でも、ニーチェに影響を与える様々な人との出会いがあります。

 

悪評×病気×退職

そして、ニーチェの第一作「悲劇の誕生」を出版しますが、悪評がたたり、大学での講師を中止することになります。

悲劇の誕生―ニーチェ全集〈2〉 (ちくま学芸文庫)

 

さらに持病も悪化したため、のちに辞職します。

執筆活動を続けるニーチェ

辞職後も執筆を続けて
喜ばしき知恵(悦ばしき知識)
を出版します。

ニーチェ全集〈8〉悦ばしき知識 (ちくま学芸文庫)

 

この本には有名な
「神は死んだ」や「永却回帰」の
思想が見られます。

 

そしてニーチェが44歳のときに
ツァラトゥストラはかく語りき」を
出版しますが、不評に終わります。

ツァラトゥストラかく語りき (河出文庫)

 

この頃から出版してくれる所も減り、次第にニーチェの精神は病み始めます。

 

くじけないニーチェ

それでもニーチェは、次々と

  • 善悪の彼岸
  • 道徳の系譜学
  • 反キリスト
  • この人を見よ

などの出版を続けます。

ニーチェの最期

しかし1889年、
ニーチェは発狂し
母親に精神病院へ入れられます。

そして1900年、狂気の最中、
肺炎を患って55歳で亡くなりました。

ニーチェの死因は肺炎による病死です。

しかし実は、死亡する約10年前の1889年から
ニーチェは発狂して精神病院へ入っています。

そして1900年8月25日、狂気の最中、
肺炎を患って55歳で亡くなりました。

  • ニーチェの誕生日:1844年10月15日
  • ニーチェの命日:1900年8月25日

※ニーチェの最期の年齢は55歳

つまりニーチェの根本的な死因は
精神病といえるのかもしれません。

ニーチェはどんな性格だった?

ニーチェは、
誠実嘘を憎む
真面目な性格だったと
妹のエリザベートさんが伝えています。

 

ニーチェの思想は、死後に評価される

ニーチェが亡くなった後に
ニーチェの思想はたくさんの人に
認められるようになります。

「19世紀の古い価値観を打破したい」
このような考えをもった
ヨーロッパの新しい知識人が
ニーチェに共鳴しはじめたのがきっかけ
と言われています。

1930年代にはナチスによって
ニーチェの思想がゆがめられて
解釈されることもありましたが
第2次世界大戦後、再びニーチェの思想が
多くの人に評価されることになります。

 

 

ニーチェの著書

ニーチェは
様々な著書を出しています。

  • 悲劇の誕生
  • 悦ばしき知識

ここでは、これら2つの
著書についてを以下で解説します。

 

悲劇の誕生

悲劇の誕生―ニーチェ全集〈2〉 (ちくま学芸文庫)

悲劇の誕生」は
ニーチェの最初の哲学本です。

造形芸術をギリシャの神アポロン、
音楽芸術をデュオニソスに象徴させ
悲劇を両者の性質をあわせ持った
最高の芸術形態であるとした考えが書かれています。

 

悦ばしき知識

ニーチェ全集〈8〉悦ばしき知識 (ちくま学芸文庫)

悦ばしき知識」は
ニーチェの哲学本です。

神の死に関するニヒリズム、
永劫回帰思想の最初の決定化、
ツァラトゥストラの登場など
ニーチェの根本思想を現す重要な1冊です。

 

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