ヴェルサイユ条約は
第一次世界大戦における講和条約です。
ヴェルサイユ条約とは何か?
どのような条約だったのか?などなど
ヴェルサイユ条約について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。
ヴェルサイユ条約とは?
ヴェルサイユ条約とは
1919(大正8)年6月28日に
パリ郊外のヴェルサイユ宮殿鏡の間で
調印された講和条約です。
これは第一次世界大戦の結果、
敗戦国ドイツと連合国との間に
結ばれた平和条約です。
1919(大正8)年1月~6月に
第一次世界大戦終結のための
パリ講和会議が開かれます。
敗戦国とロシアを除いた連合国が
ドイツとの平和条約を討議しました。
ヴェルサイユ条約と日本
ヴェルサイユ条約に先立つ
パリ講和会議には日本人も参加します。
日本は5大国の一つとして参加し、
原敬内閣の下、西園寺公望や牧野伸顕らを
全権委員とし同会議に参加しています。
5大国はこちら。
- アメリカ
- イギリス
- フランス
- イタリア
- 日本
日本はパリ講和会議で
移民排斥問題を取り上げ、国際連盟規約に
「人種平等原則」を入れるように主張します。
これには賛成も多かったのですが
アメリカのウィルソン大統領の反対で
採択されませんでした。
日本は、山東省のドイツ権益や
南洋諸島の委任統治権を引き継ぎます。
これに不満を持った中国では
五・四運動という大きな反対運動が起こります。
ヴェルサイユ条約の内容
ここでは
ヴェルサイユ条約の内容を
紹介していきます。
- ドイツの領土割譲
- 植民地の放棄
- 賠償支払い
- 軍備の制限
- 国際連盟の設置
ヴェルサイユ条約の内容には、
国際連盟の設置など戦後の世界平和を
目的とした条項もあります。
しかし
ドイツの領土割譲や海外植民地の放棄、
巨額の倍書金などを課していて
不公正な条約であったと言われています。
これは講和に向けて
アメリカ大統領W.ウィルソンが発表した
十四ヵ条平和構想に程遠い内容となりました。
ヴェルサイユ条約の影響
第一次世界大戦は
多額の戦費と多数の死者が出ました。
アメリカ大統領のW.ウィルソンは
講和での「賠償金なし」を唱えます。
しかし大戦中に大きな被害を受けた
イギリスやフランスはこの提案を拒否。
アメリカからお金を借りて戦争をしたため
ドイツに多額の賠償金を請求したのです。
さらに天然資源の産出地を割譲され
海外の植民地も取られてしまいます。
ドイツは力を失います。
ヴェルサイユ条約のもたらした
新しい世界秩序をヴェルサイユ体制と言います。
この結果ドイツは賠償金の返済にあたり
長い不況に陥ってしまいます。
最終的にはナチス・ドイツが成立し、
1936年、一方的にこの条約を廃して
第二次世界大戦へと突入していくのです。
最後に
ヴェルサイユ条約とは何か?
どのような条約だったのか?などなど
ヴェルサイユ条約について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説しました。
少しでもあなたの参考になれば幸いです。