パリ講和会議とは何か?【簡単にわかりやすく解説】
パリ講和会議(パリこうわかいぎ)は
大正時代にパリで開かれた講和会議です。
パリ平和会議とも呼び、
世界各国の首脳が集まって、新たな
国際体制構築について議論されました。
パリ講和会議とは何か?
どのような講和会議だったのか?などなど
パリ講和会議について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。
パリ講和会議とは何か?
パリ講和会議とは
1919年1月18日から開会された
第一次世界大戦終結のための講和会議です。
パリ講和会議は
フランスのヴェルサイユ宮殿などで
1920年8月10日まで行われます。
敗戦国の出席は許されず、
連合国と呼ばれる27か国の
戦勝国の代表が集まって戦後処理、
新しい国際秩序について論議しました。
パリ講和会議は
次の5大国が会議の中心となりますが、
実質的にはアメリカ、イギリス、
フランスの3国が主導します。
- アメリカ
- イギリス
- フランス
- イタリア
- 日本
会議の主な目的は、敗戦国の
ドイツやオーストリアなどへの賠償請求や
その植民地を取り上げることです。
それと同時に、
戦争が二度と起こらないように
するための方策も議論されています。
パリ講和会議と14か条の原則
パリ講和会議は、
アメリカのウィルソン大統領の
14か条の原則の柱となる
国際協調や民族自決の精神で進められます。
しかし、フランスのクレマンソーが主張した
ドイツに対する報復を優先する現実路線に
イギリスのロイド・ジョージが同調した為、
最終的にはフランスの報復主義が通る結果となりました。
ウィルソンが提案した14か条の原則は
国際連盟の設立以外はあまり生かされませんでした。
パリ講和会議の結果
パリ講和会議の結果、
ドイツに対するヴェルサイユ条約や
オーストリアに対する
サンジェルマン条約などが締結されます。
またウィルソンの14か条の原則により
国際連盟の設立と東ヨーロッパ諸国の独立
という成果も上げられます。
各国が協力していくことを目的とした
「国際連盟」は1920年に42か国が
参加して発足されたのです。
本部はスイスのジュネーブに設置されます。
しかしヴェルサイユ条約などで
ドイツなどの敗戦国には過酷な条件が
押し付けられたことや、アジアの民族運動には
無関心であったことなどが問題点となりました。
この会議で成立した戦勝国優先である
新たな秩序のヴェルサイユ体制に対して
ドイツではナチズムの台頭、朝鮮では
三・一独立運動、中国では五・四運動などの
民族運動が激しく展開されることになるのです。
最後に
パリ講和会議とは何か?
どのような講和会議だったのか?などなど
パリ講和会議について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説しました。
少しでもあなたの参考になれば幸いです。