21カ条の要求(にじゅういっかじょうのようきゅう)とは
大正時代に日本が中国に対して提示した要求です。
これは日本の帝国主義の
芽生えともいわれています。
21カ条の要求とは何か?
どのような要求だったのか?などなど
21カ条の要求について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。
21カ条の要求とは?
21カ条の要求とは
第一次世界大戦中の1915(大正4)年、
日本が中華民国政府につきつけた
5号21カ条からなる希望と要求です。
対華(たいか)21カ条の要求ともいいます。
第一次世界大戦で
列国が中国から後退したのを利用して、
山東省・満州・内モンゴルなどに
日本の権利を強引に認めさせたのです。
21カ条要求の背景
第一次大戦の主な戦場はヨーロッパであり
日本やアジアはあまり関係していません。
大戦中の日本の主な仕事は
当時ドイツ領であった山東省と南洋諸島を
占領するという役割でした。
日本は見事占領に成功します。
ここで、ヨーロッパ諸国がアジアに
目を向けていないことを好機ととらえて
日本は中国に対してドイツを追い払った
お礼を要求したのです。
21カ条の要求の内容
ここでは
21カ条の要求の内容を
簡単に紹介していきます。
第1号:山東省についての要求
第1号では山東省における旧ドイツ権益の
継承に関する4つの要求を提示しています。
簡単にいうと、ドイツが保有していた
中国の権益をそのまま日本に渡すという要求。
過去に日本は三国干渉によって
中国の遼東半島を返還するなどしているので
中国に権益を認めさせることが重要でした。
第2号:南満州と内モンゴルについての要求
第2号は、7つの要求を提示します。
関東州の租借期限を99年延長することと、
中国北東部での経済活動を認めさせます。
この要求によって関東州を借りる権利は
1923年までだったのが2002年までとなったのです。
第3号:漢冶萍公司についての要求
漢冶萍公司(かんやひょうこうす)とは
当時の中華民国最大の製鉄会社のこと。
日本は中国の製鉄会社の経営を
中国と共同で行うことを認めさせます。
資源が不足していた日本にとっては
資源を得るチャンスでもあったわけです。
第4号:中国の領土保全についての要求
第4号では中国に対して
中国の島々を他国へ譲らないという要求。
この要求によって中国はヨーロッパ諸国に
譲ることができなくなります。
日本が中国を独り占めする狙いがあったのです。
第5号:中国全般にわたる希望要求
第5号は、中国全般にわたる
希望要求を7つ提示しています。
中国における
警察や兵器製造、鉄道の権利を日本に譲る
という要求が含まれています。
警察は日中共同、兵器は
すべて日本から輸入させます。
さらに日本人の学校、病院、
寺院に土地所有権を与えさせます。
21カ条の要求の影響
日本は中国に対して
道理の合わない不平等な要求を
押し通しました。
しかし第5号の要求は、
アメリカなどから大批判を受けて
この項目を削除した上で中国に提供します。
この結果、中国人の間に
排日運動(はいにちうんどう)が盛んになります。
現在、中国での5月9日は
『国恥記念日』となっています。
この要求を中国政府が受け入れたことは
中国国民にとって屈辱的な出来事となったのです。
最後に
21カ条の要求とは何か?
どのような要求だったのか?などなど
21カ条の要求について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説しました。