藤原良房ってどんな人?何をした人?【わかりやすく簡単な言葉で解説】

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藤原良房―天皇制を安定に導いた摂関政治 (日本史リブレット人)

藤原良房(ふじわらのよしふさ)
平安時代初期を生きた公卿です。

誕生時期:804年
死亡時期:872年10月7日

 

皇族以外で初めて摂政となった人物です。

 

藤原良房とはどんな人なのか?
何をした人だったのか?などなど
藤原良房について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。

 

藤原良房ってどんな人?

藤原良房・基経:藤氏のはじめて摂政・関白したまう (ミネルヴァ日本評伝選)

藤原良房の誕生日

藤原良房は、804(延暦23)年
藤原北家である藤原冬嗣の次男として誕生します。
※藤原良房の具体的な誕生日は不明です。

 

父の藤原冬嗣は、嵯峨天皇に厚く
信頼され、左大臣にまで昇進しています。

 

藤原良房、皇女と結婚

藤原良房は814年に
11歳という若さで皇女
源潔姫(みなもとのきよひめ)と結婚

潔姫は、臣籍に降下してから
結婚していますが「初めて臣下の
妻となった皇女」なのです。

これは、父・藤原冬嗣が
天皇から信頼されていたからと考えられます。

 

藤原良房と承和の変

その後も藤原良房は
蔵人、蔵人頭、参議、中納言と出世し
839年には陸奥出羽按察使(あぜち)にまで昇進します。

 

840年に淳和天皇が亡くなったことを
契機に、842年承和の変を起こします。

 

これは藤原良房による政治的陰謀で、
大伴氏、橘氏など邪魔者を排除して
自らの甥にあたる道康親王を
皇太子にすることに成功します。

道康親王とは、のちの文徳天皇です。

 

そして藤原良房は右大臣にまで昇りつめます。

 

藤原良房と文徳天皇

藤原良房は、文徳天皇が
皇太子の時に娘の明子を嫁がせます。

850年、仁明天皇が亡くなって
文徳天皇が即位します。

 

そして明子が皇太子惟仁(これひと)親王を
産むと、生後わずか8か月の
惟仁親王を皇太子と定めたのです。

惟仁親王は、のちの清和天皇です。

 

藤原良房と藤原基経

藤原良房には男子にめぐまれず
跡取りがいない状態でした。

そのため、藤原北家で中納言だった
藤原長良の三男、藤原基経(もとつね)
養子としています。

 

藤原基経も、のちに日本史上初の
関白に就任したということで有名です。

 

藤原良房と清和天皇

857年には、皇族以外で
初めての太政大臣となります。

858年、文徳天皇が亡くなったため
藤原良房は9歳の清和天皇を即位させます。

そして太政大臣という立場から
9歳の清和天皇の政務の手助けを行います。

 

藤原良房と応天門の変

866年に起きた応天門の変では、
大納言の伴善男を失脚させて
大伴氏の勢力が没落します。

 

古くからの名門とされていた
伴氏や紀氏を朝廷から追い出して
藤原氏の立場はゆるぎないものとなったのです。

 

藤原良房の最期

藤原良房は
872年10月7日(貞観14年9月2日)
亡くなります。享年68歳。

 

最後に

藤原良房―天皇制を安定に導いた摂関政治 (日本史リブレット人)

藤原良房とはどんな人なのか?
何をした人だったのか?などなど
藤原良房について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説しました。

少しでもあなたの参考になれば幸いです。

 

 

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