平安時代 (794年から1185年まで) とは?どんな時代だった?【日本の歴史をわかりやすく簡単に】

平安時代 (へいあん じだい) とは
いったいどんな時代だったのか?
この記事では
平安時代の歴史について
概要をわかりやすく簡単に解説して
最初から最後までを年表にまとめました。
目次
- 1 平安時代とは?どんな時代だった?【日本の歴史をわかりやすく簡単に】
- 2 飛鳥時代の最初から最後まで (794年から1185年まで) 【年表まとめ】
- 2.1 794年(延暦13年)【平安時代】
- 2.2 797年(延暦16年)【平安時代】
- 2.3 802年(延暦21年)【平安時代】
- 2.4 803年(延暦22年)【平安時代】
- 2.5 804年(延暦23年)【平安時代】
- 2.6 805年(延暦24年)【平安時代】
- 2.7 806年(大同1年)【平安時代】
- 2.8 807年(大同2年)【平安時代】
- 2.9 809年(大同4年)【平安時代】
- 2.10 810年(弘仁1年)【平安時代】
- 2.11 811年(弘仁2年)【平安時代】
- 2.12 820年(弘仁11年)【平安時代】
- 2.13 822年(弘仁13年)【平安時代】
- 2.14 824年(弘仁15年)【平安時代】
- 2.15 835年(承和2年)【平安時代】
- 2.16 838年(承和5年)【平安時代】
- 2.17 842年(承和9年)【平安時代】
- 2.18 847年(承和14年)【平安時代】
- 2.19 850年(嘉祥3年)【平安時代】
- 2.20 857年(天安1年)【平安時代】
- 2.21 858年(天安2年)【平安時代】
- 2.22 864年(貞観6年)【平安時代】
- 2.23 866年(貞観8年)【平安時代】
- 2.24 869年(貞観11年)【平安時代】
- 2.25 872年(貞観14年)【平安時代】
- 2.26 876年(貞観18年)【平安時代】
- 2.27 880年以降【平安時代】
- 2.28 884年(元慶8年)【平安時代】
- 2.29 887年(仁和3年)【平安時代】
- 2.30 888年(仁和4年)【平安時代】
- 2.31 891年(寛平3年)【平安時代】
- 2.32 894年(寛平6年)【平安時代】
- 2.33 897年(寛平9年)【平安時代】
- 2.34 901年(延喜1年)【平安時代】
- 2.35 902年(延喜2年)【平安時代】
- 2.36 903年(延喜3年)【平安時代】
- 2.37 905年(延喜5年)【平安時代】
- 2.38 930年(延長8年)【平安時代】
- 2.39 931年(承平1年)【平安時代】
- 2.40 935年(承平5年)【平安時代】
- 2.41 939年(天慶2年)【平安時代】
- 2.42 941年(天慶4年)【平安時代】
- 2.43 966年(康保3年)【平安時代】
- 2.44 969年(安和2年)【平安時代】
- 2.45 970年(天禄1年)【平安時代】
- 2.46 972年(天禄3年)【平安時代】
- 2.47 975年(天延2年)【平安時代】
- 2.48 977年(貞元2年)【平安時代】
- 2.49 978年(天元元年)【平安時代】
- 2.50 990年(正暦1年)【平安時代】
- 2.51 995年(長徳1年)【平安時代】
- 2.52 996年(長徳2年)【平安時代】
- 2.53 998年(永年2年)【平安時代】
- 2.54 1008年(寛弘5年)【平安時代】
- 2.55 1016年(長和5年)【平安時代】
- 2.56 1019年(寛仁3年)【平安時代】
- 2.57 1028年(万寿2年)【平安時代】
- 2.58 1028年(長元1年)【平安時代】
- 2.59 1036年(長暦1年)【平安時代】
- 2.60 1040年(長久1年)【平安時代】
- 2.61 1045年(寛徳2年)【平安時代】
- 2.62 1051年(永承6年)【平安時代】
- 2.63 1052年(永承7年)【平安時代】
- 2.64 1063年(康平6年)【平安時代】
- 2.65 1068年(治暦4年)【平安時代】
- 2.66 1069年(延久1年)【平安時代】
- 2.67 1072年(延久4年)【平安時代】
- 2.68 1074年(延久6年)【平安時代】
- 2.69 1075年(承保2年)【平安時代】
- 2.70 1083年(永保3年)【平安時代】
- 2.71 1086年(応徳3年)【平安時代】
- 2.72 1091年(寛治5年)【平安時代】
- 2.73 1094年(寛治8年)【平安時代】
- 2.74 1095年(嘉保1年)【平安時代】
- 2.75 1096年(嘉保2年)【平安時代】
- 2.76 1105年(長治2年)【平安時代】
- 2.77 1107年(嘉承2年)【平安時代】
- 2.78 1108年(天仁1年)【平安時代】
- 2.79 1118年(永久6年)【平安時代】
- 2.80 1121年(保安2年)【平安時代】
- 2.81 1123年(保安4年)【平安時代】
- 2.82 1124年(天治1年)【平安時代】
- 2.83 1128年(大治3年)【平安時代】
- 2.84 1129年(大治4年)【平安時代】
- 2.85 1138年(保延4年)【平安時代】
- 2.86 1141年(永治1年)【平安時代】
- 2.87 1154年(久寿1年)【平安時代】
- 2.88 1155年(久寿2年)【平安時代】
- 2.89 1156年(保元1年)【平安時代】
- 2.90 1157年(保元2年)【平安時代】
- 2.91 1158年(保元3年)【平安時代】
- 2.92 1159年(平治1年)【平安時代】
- 2.93 1160年(平治2年)【平安時代】
- 2.94 1164年(長寛1年)【平安時代】
- 2.95 1167年(仁安2年)【平安時代】
- 2.96 1170年(嘉応2年)【平安時代】
- 2.97 1173年(承安3年)【平安時代】
- 2.98 1175年(安元1年)【平安時代】
- 2.99 1177年(治承1年)【平安時代】
- 2.100 1179年(治承3年)【平安時代】
- 2.101 1180年(治承4年)【平安時代】
- 2.102 1181年(治承5年/養和1年)【平安時代】
- 2.103 1183年(治承7年/寿永2年)【平安時代】
- 2.104 1184年(治承8年/寿永3年)【平安時代】
- 2.105 1185年(文治1年/寿永4年)【平安時代】
- 2.106 1189年(文治5年)【平安時代】
- 3 最後に
平安時代とは?どんな時代だった?【日本の歴史をわかりやすく簡単に】
794年から1185年まで
平安時代は、391年間(794年-1185年)続いたとされています。
基本的に平安時代の期間は
桓武天皇が都を長岡京から
平安京へ移した年(794年)から
壇ノ浦の戦いで平氏が滅亡した年
(1185年)までの391年間を指します。
この平安時代では
藤原氏一族による
摂関政治がはじまります。
その後、上皇らによる院政が行われ、
平氏や源氏など武士の台頭へと続きます。
平安時代末期は、源平合戦とも呼ばれる
治承寿永の乱が始まり、平氏が滅亡。
源頼朝が鎌倉で幕府の政治を始め、
鎌倉時代へとつながっていきます。
この平安時代以降、
都の場所は明治時代までずっと変わりませんが
政治の中心地は時代ごとに変化していきます。
※江戸時代に幕府が江戸(東京)で開かれますが
都(みやこ)が京都から東京になる時期は明治時代。
平安時代の文化面においては、
菅原道真が遣唐使を廃止したことで
国風文化(こくふうぶんか)が栄えます。
十二単(じゅうにひとえ)や寝殿造、
枕草子や源氏物語なども
平安時代に完成したと言われています。
他にも、平仮名や片仮名などの
かな文字が広まった時代とも言われています。
飛鳥時代の最初から最後まで (794年から1185年まで) 【年表まとめ】
794年(延暦13年)【平安時代】
都を平安京へ遷都。
※桓武天皇が、都を長岡京から京都府中心部にある平安京へ移した。
円仁(慈覚大師)が誕生した年
797年(延暦16年)【平安時代】
坂上田村麻呂が征夷大将軍に任命される。
坂上田村麻呂が蝦夷を征服。
802年(延暦21年)【平安時代】
胆沢城築城。
※坂上田村麻呂が胆沢城を築城。
803年(延暦22年)【平安時代】
志波城築城。
※坂上田村麻呂が志波城を築城。
804年(延暦23年)【平安時代】
805年(延暦24年)【平安時代】
806年(大同1年)【平安時代】
空海が真言宗を開く。
※和歌山県の高野山に金剛峰寺を建立。
桓武天皇死去。享年70歳
平城天皇の即位。(天皇期間:806年-809年)
807年(大同2年)【平安時代】
伊予親王の変。
※冤罪で藤原吉子、伊予親王が死去。
809年(大同4年)【平安時代】
嵯峨天皇が即位。(天皇期間:809年-823年)
810年(弘仁1年)【平安時代】
薬子の変(平城平上天皇の変)が起こる。
※平城上皇と嵯峨天皇の争い。嵯峨天皇が勝利した。
この薬子の変で藤原薬子は自殺し、藤原薬子の兄である藤原仲成は射殺される。
811年(弘仁2年)【平安時代】
坂上田村麻呂死去。享年53歳
820年(弘仁11年)【平安時代】
弘仁格式の編纂。
※藤原冬嗣らが、弘仁格式を編纂。
822年(弘仁13年)【平安時代】
最澄死去。享年56歳。
※比叡山の中道院で亡くなる
824年(弘仁15年)【平安時代】
平城天皇死去。享年49歳
835年(承和2年)【平安時代】
空海死去。享年60歳。
※空海の死亡は病気の可能性が高い
838年(承和5年)【平安時代】
遣唐使の派遣。
※最後の遣唐使が派遣された。
842年(承和9年)【平安時代】
嵯峨天皇死去。享年55歳
承和の変。
※藤原良房によって、橘逸勢、伴健岑らが流罪となった。
847年(承和14年)【平安時代】
円仁が帰国。
850年(嘉祥3年)【平安時代】
仁明天皇死去。享年41歳
文徳天皇の即位。
857年(天安1年)【平安時代】
藤原良房が太政大臣に就任。
※藤原良房は皇族以外で初めての太政大臣。
858年(天安2年)【平安時代】
文徳天皇死去。享年32歳
清和天皇の即位。(天皇期間:858年-876年)
円珍が帰国。
864年(貞観6年)【平安時代】
円仁(慈覚大師)死去。享年71歳。
※円仁(慈覚大師)の死因は熱病の可能性が高い
貞観大噴火。
※富士山が噴火した。富士山噴火史上最大と言われている。
866年(貞観8年)【平安時代】
応天門の変。
※大納言の伴善男(とものよしお)が応天門を放火。
左大臣の源信にその罪を負わせよう計画するが結局バレてしまい、伴善男は流罪になる。
869年(貞観11年)【平安時代】
貞観地震が発生。
※陸奥で起きた大地震。多賀城が崩壊し、大津波によって1000名以上が亡くなった。
872年(貞観14年)【平安時代】
藤原良房死去。(享年68歳)
876年(貞観18年)【平安時代】
陽成天皇の即位。(天皇期間:876年-884年)
※清和天皇が譲位し、陽成天皇が即位。
880年以降【平安時代】
歌物語『伊勢物語』の完成。
日本最古の物語『竹取物語』の完成。
884年(元慶8年)【平安時代】
光孝天皇の即位。(天皇期間:884年-887年)
※藤原基経が陽成天皇を廃して、光孝天皇を即位させた。
藤原基経が関白となる。
※関白とは、天皇を補佐する人。
つまり、かなりの権力者。
887年(仁和3年)【平安時代】
光孝天皇死去。享年57歳
宇多天皇の即位。(天皇期間:887年-897年)
888年(仁和4年)【平安時代】
阿衡事件(あこうじけん)。
※阿衡事件とは、関白の藤原基経が宇多天皇に勅書の撤回をさせた出来事。阿衡の紛議ともいう。
- 勅書(ちょくしょ):天皇の命令が書かれたもの
891年(寛平3年)【平安時代】
藤原基経死去。(享年55歳)
894年(寛平6年)【平安時代】
遣唐使の廃止。
※菅原道真により、遣唐使が廃止された。
897年(寛平9年)【平安時代】
醍醐天皇の即位。(天皇期間:897年-930年)
※宇多天皇が譲位し、醍醐天皇が即位した。
901年(延喜1年)【平安時代】
昌泰の変(しょうたいのへん)。
※藤原時平によって、菅原道真が大宰府へ左遷となった。
902年(延喜2年)【平安時代】
延喜の荘園整理令。
※違法な土地所有を禁止するためのもの
903年(延喜3年)【平安時代】
菅原道真死去。享年57歳。
905年(延喜5年)【平安時代】
勅撰和歌集『古今和歌集』の完成。
※紀貫之らによって編集された。
930年(延長8年)【平安時代】
醍醐天皇死去。享年50歳。
931年(承平1年)【平安時代】
宇多天皇死去。享年64歳。
935年(承平5年)【平安時代】
『土佐日記』完成。
※歌人、紀貫之(きのつらゆき)が日記文学『土佐日記』を記した。
939年(天慶2年)【平安時代】
平将門の乱。(~940年)
※承平の乱ともいう。関東地方で平将門が起こした反乱。
藤原純友の乱。(~941年)
※天慶の乱ともいう。瀬戸内海地方で藤原純友が起こした反乱。
941年(天慶4年)【平安時代】
藤原純友死去。享年48歳。
966年(康保3年)【平安時代】
清少納言が誕生した年
藤原道長が誕生した年
969年(安和2年)【平安時代】
安和の変。
※藤原師尹(もろただ)が源高明を大宰府へ左遷した出来事。
円融天皇の即位。
※冷泉天皇が譲位し、円融天皇が即位した。
藤原実頼(さねより)が摂政に就任。
高麗の使節が対馬を訪れる。
970年(天禄1年)【平安時代】
藤原実頼死去。享年70歳。
藤原伊尹(これただ)が摂政に就任。
972年(天禄3年)【平安時代】
藤原伊尹死去。享年48歳。
藤原兼通(かねみち)が関白に就任。
975年(天延2年)【平安時代】
『蜻蛉日記(かげろうにっき)』が完成。
※『蜻蛉日記』とは、藤原道綱の母による日記。
977年(貞元2年)【平安時代】
藤原兼通死去。享年52歳。
978年(天元元年)【平安時代】
紫式部の誕生時期
990年(正暦1年)【平安時代】
藤原兼家(かねいえ)が関白に就任する。
藤原道隆(みちたか)が摂政、関白に就任する。
藤原兼家死去。享年61歳。
995年(長徳1年)【平安時代】
藤原道兼が関白に就任。
藤原道兼死去。享年35歳。
996年(長徳2年)【平安時代】
『枕草子』の完成。
※『枕草子』とは、藤原定子に仕えた清少納言による日本最古の随筆。
998年(永年2年)【平安時代】
源頼義が誕生した年
1008年(寛弘5年)【平安時代】
『源氏物語』の完成。
※『源氏物語』とは、紫式部が書いた世界最古の恋愛小説。
1016年(長和5年)【平安時代】
後一条天皇の即位。
※三条天皇が譲位し、後一条天皇が即位した。
藤原道長が摂政に就任する。
1019年(寛仁3年)【平安時代】
刀伊の入寇(といのにゅうこう)。
※女真族という海賊が、九州周辺を襲った事件。
藤原頼通が関白に就任する。
紫式部の死亡時期。
※約40歳くらいの年齢で死去
1028年(万寿2年)【平安時代】
1028年(長元1年)【平安時代】
藤原道長死去。享年62歳。
平忠常の乱。
※平忠常の乱とは、房総で平忠常が起こした反乱。源頼信によって鎮圧された。
1036年(長暦1年)【平安時代】
後朱雀天皇の即位。
1040年(長久1年)【平安時代】
長久の荘園整理令。
1045年(寛徳2年)【平安時代】
後朱雀天皇死去。享年35歳。
後冷泉天皇の即位。
寛徳の荘園整理令。
1051年(永承6年)【平安時代】
前九年の役。(~1062年)
※東北地方の豪族、安部氏と源頼義、清原氏の争い。安倍氏が滅亡。
1052年(永承7年)【平安時代】
平等院鳳凰堂の建立。
※宇治にある藤原頼通の別荘を寺としたもの。
宇治(うじ)の場所:京都の南側
1063年(康平6年)【平安時代】
1068年(治暦4年)【平安時代】
後三条天皇の即位。
1069年(延久1年)【平安時代】
延久の荘園整理令。
※記録荘園券契所(記録所)を設置し
荘園の所有者を審査した。
例えば、石清水八幡宮領では、
34箇所の荘園のうち21か所は審査を通過し、
残りの13か所は審査で落ち権利が停止された。
この法令により
貴族や寺社の支配する荘園と
国司の支配する公領とが明確になった。
1072年(延久4年)【平安時代】
白河天皇の即位。(天皇期間:1072年-1086年)
※後三条天皇が譲位し、白河天皇が即位した。
1074年(延久6年)【平安時代】
藤原頼通死去。享年82歳。
1075年(承保2年)【平安時代】
源頼義死去。享年87歳。
1083年(永保3年)【平安時代】
後三年の役。(~1087年)
※後三年の役とは、東北地方での清原家衡と源義家、清原清衡による争い。奥州藤原氏の誕生。
1086年(応徳3年)【平安時代】
堀河天皇の即位。(天皇期間:1072年-1107年)
※白河天皇が譲位し、堀川天皇が即位した。
白河上皇が院政を開始。
1091年(寛治5年)【平安時代】
源義家への荘園寄進が禁じられる。
1094年(寛治8年)【平安時代】
藤原伊房(これふさ)らが、遼との私貿易で処罰される。
1095年(嘉保1年)【平安時代】
白河上皇が北面武士を設置。
1096年(嘉保2年)【平安時代】
白河上皇が出家し、白河法皇に。
1105年(長治2年)【平安時代】
中尊寺の建立。
※藤原清衡が中尊寺を建立した。
1107年(嘉承2年)【平安時代】
堀河天皇死去。享年28歳。
鳥羽天皇の即位。
1108年(天仁1年)【平安時代】
源義親の乱。
※源義家の子の源義親が九州で略奪を行い、官吏を殺した。源義親は平正盛によって殺された。
1118年(永久6年)【平安時代】
平清盛が誕生した年
1121年(保安2年)【平安時代】
藤原忠通(ただみち)が関白に就任する。
1123年(保安4年)【平安時代】
崇徳天皇の即位。
※鳥羽天皇が譲位し、崇徳天皇が即位した。
源義朝が誕生した年
1124年(天治1年)【平安時代】
平泉中尊寺で金色堂が建立される。
1128年(大治3年)【平安時代】
奥州の藤原清衡死去。享年72歳。
1129年(大治4年)【平安時代】
白河法皇死去。享年77歳。
鳥羽上皇の院政が開始。
1138年(保延4年)【平安時代】
北条時政が誕生した年
1141年(永治1年)【平安時代】
近衛天皇の即位。
※崇徳天皇が譲位し、近衛天皇が即位した。
1154年(久寿1年)【平安時代】
源義仲が誕生した年
※源頼朝、源義経兄弟とは従兄弟にあたる。
1155年(久寿2年)【平安時代】
近衛天皇死去。享年16歳。
後白河天皇の即位。(天皇期間:1155年-1158年)
1156年(保元1年)【平安時代】
保元の乱。
※後白河天皇と崇徳上皇による争い。後白河天皇の勝利。
北条政子が誕生した年
鳥羽上皇死去。享年53歳。
藤原頼長死去。享年36歳。
1157年(保元2年)【平安時代】
巴御前が誕生した年
※歴史に名を残した女侍
1158年(保元3年)【平安時代】
二条天皇の即位。
※後白河天皇が譲位し、二条天皇が即位する。
後白河天皇の院政が開始。
1159年(平治1年)【平安時代】
平治の乱。
※源義朝による内乱。源義朝は平清盛に討たれ、源頼朝は伊豆へ流罪。
源義経が誕生した年
※源義朝と常盤御前の九男として生まる。
源頼朝の異母弟にあたる。
1160年(平治2年)【平安時代】
源義朝(みなもとのよしとも)死去。享年38歳
1164年(長寛1年)【平安時代】
崇徳天皇死去。享年45歳。
1167年(仁安2年)【平安時代】
平清盛が太政大臣に就任する。
※武士で初めての太政大臣となった。
日宋貿易が盛んになる。
1170年(嘉応2年)【平安時代】
源為朝死去。享年31歳。
1173年(承安3年)【平安時代】
親鸞聖人が誕生した年
1175年(安元1年)【平安時代】
法然が専修念仏を説き、浄土宗を伝える。
1177年(治承1年)【平安時代】
鹿ケ谷の陰謀。
※鹿ケ谷の陰謀とは、平氏打倒のための計画だったが、情報が漏れてしまい首謀者らは斬首、流罪になった。
源頼朝と北条政子が結婚。
※この頃、源頼朝は北条時政の娘である北条政子が結婚した。
1179年(治承3年)【平安時代】
治承三年の政変。
※平清盛によって、後白河法皇が幽閉された。
1180年(治承4年)【平安時代】
治承寿永の乱が開始。
以仁王や源頼政らが挙兵
以仁王死去。享年30歳。
石橋山の戦い。
※石橋山の戦いとは、源頼朝と大庭景親の戦い。大庭景親の勝利。
富士川の戦い。
※富士川の戦いとは、源頼朝と平清盛の戦い。平清盛が敗走。
源頼朝が侍所を設置。
平清盛が後白河法皇の幽閉を解く。
1181年(治承5年/養和1年)【平安時代】
平清盛死去。享年64歳。
養和の飢饉。
後白河法皇の院政が再開される。
1183年(治承7年/寿永2年)【平安時代】
倶利伽羅峠の戦い。
※源義仲率いる源氏軍と、平維盛率いる平家軍の戦い。源義仲の勝利。
源義仲(木曾義仲)の入京。
水島の戦い。
※水島の戦いは、源義仲と平氏の戦い。平氏が勝利する。
寿永二年十月宣旨。
※朝廷が源頼朝の東国支配権を公認した。
1184年(治承8年/寿永3年)【平安時代】
問注所、公文所の設置。
※源頼朝が問注所と、政所の前進である公文所を設置した。
源義仲が征夷大将軍となる。
宇治川の戦い。
※源義経、源範頼と源義仲の戦い。源義仲が負ける。
源義仲死去。享年31歳。
一ノ谷の戦い。
※一ノ谷の戦いとは、源範頼、源義経と平氏の戦い。源範頼、源義経が勝利。
1185年(文治1年/寿永4年)【平安時代】
屋島の戦い。
※屋島の戦いとは、源義経と平氏の戦い。源義経の勝利。
壇ノ浦の戦い。
※壇ノ浦の戦いは、源義経と平氏の戦い。平氏が滅亡した。
1189年(文治5年)【平安時代】
奥州合戦。
※源頼朝と奥州藤原氏の戦い。奥州合戦により、奥州藤原氏が滅亡した。
最後に
この記事では
平安時代の歴史を
わかりやすく簡単に解説して
出来事を年表でまとめました。
少しでもあなたの参考になれば幸いです。
794年から1185年まで