明治時代の1900年、義和団の勢力によって
清朝政府が8か国連合との戦争が起こります。
この義和団事件によって
結果的に中国の植民地化がさらに強まりました。
義和団事件(義和団の乱)とは何か?
どんな事件だったのか?などなど
義和団事件(義和団の乱)について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。
義和団事件(義和団の乱)とは?
ここでは
義和団事件(義和団の乱)に
ついて解説していきます。
義和団事件とは、1900年に
現在の中国が、”清(しん)”と呼ばれる時代に
起こった外国排斥運動です。
義和団事件は
次の名称でも呼ばれています。
- 北清事変(ほくしんじへん)
- 義和団事変
- 北清事件
- 清国事変
- 庚子(こうし)事変
義和団の外国排斥運動を支持した
清朝も列強に宣戦布告をします。
日本を含む8か国の連合軍が出動して
この騒動を鎮圧しました。
結果、1901年に
連合軍は清朝を屈服させて
辛丑(しんちゅう)条約(北京議定書)を締結します。
連合軍は
巨額の賠償金や外国軍隊の駐屯権を獲得し、
中国の反植民地化をさらに進めました。
義和団とは?【義和団事件】
そもそも”義和団”とは
何なのか気になりますよね。
辞書にが次のように書かれています。
義和団(ぎわだん)
中国清朝末期、山東省の農民の間に起こった秘密結社。白蓮教の一派で、拳術や棒術などの武術に習熟。
簡単に言うと義和団とは、
白蓮教(びゃくれんきょう)の一派である
宗教的秘密結社と言われています。
義和団事件(義和団の乱)までの経緯
日清戦争の敗北後、
生活に苦しんだ中国の民衆は
当時の社会矛盾やキリスト教、
ドイツの進出などに反感を持ちます。
その頃に義和団が不満を持つ農民を集め、
各地で外国人や鉄道、教会を襲ったのです。
義和団は日本とドイツの
外交官などを殺害します。
義和団による排外運動は
山東省から起こって北京にまで及び、
1900年には外国公使館を包囲します。
義和団のこのような動きに対して
清の政府は取り締まるどころか
義和団を支持したのです。
そして清の政府は強い力を持つ
国々(列強)に宣戦布告をしたのです。
連合軍とは?【義和団事件】
ここでは義和団事件で戦った
連合軍について解説していきます。
義和団の外国排斥運動と
清朝の宣戦布告による動きを抑えるために、
8か国が中国に出兵します。
- イギリス
- アメリカ
- ドイツ
- フランス
- ロシア
- イタリア
- オーストリア
- 日本
この義和団事件では8か国の中で、
日本は最も兵力が大きかったとされています。
なぜならイギリスは南アフリカ戦争、
アメリカはフィリピン・アメリカ戦争と重なり
兵力を割けなかったことなどが挙げられます。
最後に
この記事では
義和団事件(義和団の乱)とは何か?
どのような事件だったのか?などなど
義和団事件(義和団の乱)について
なるべくわかりやすく簡単な言葉で解説しました。
少しでも参考になれば幸いです。