卑弥呼(ひみこ)は3世紀前半頃、
邪馬台国を統治したと伝えられる女王です。
誕生時期:170年
死亡時期:248年
古い日本の歴史に登場する
謎だらけの女王として有名ですね。
卑弥呼とはどんな人なのか、
何をした人なのか、などなど
卑弥呼について
この記事でなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。
卑弥呼とは?何をした人?【生涯をざっくりとわかりやすく解説】
卑弥呼についての記述は、
「三国志」の中の「魏志倭人伝」にあります。
魏志倭人伝とは、当時の中国の歴史書です。
卑弥呼の記録があるのは魏志倭人伝だけですが、
外交での記録ということもあり信憑性は高いのではないかともいわれています。
邪馬台国の女王に
弥生時代(紀元前3世紀~紀元後3世紀)の
日本のことを邪馬台国(たまたいこく)と呼んでいます。
「魏志」によると当時の倭(日本)は
30ほどの小国家に分かれていて、
これらの国はそれぞれ男王が統めていましたが
長い間、国同志の争いがあったそうです。
180年代の始めころに
1人の女性を倭王として共立することで
諸国がまとまったということです。
この1人の女性こそ卑弥呼なのです。
なぜ卑弥呼が女王に選ばれたのかについては
詳しく書かれていませんが、
のちにも紹介するように
神との対話ができたからなのではないでしょうか。
魏に使節を遣わす
239年、卑弥呼は魏(当時の中国)の
皇帝へ使者を送っています。
使者に男の生口(奴碑)4人と
女の生口6人、それに布を持たせて遣わし
魏の皇帝へ献上します。
※生口=捕虜 奴碑=召使
魏の皇帝はこれに対し、卑弥呼に
「親魏倭王(しんぎわおう)」の称号を与え
金印、銅鏡100枚、真珠などを授けたそうです。
その後も240年には
魏の使者が邪馬台国に遣わされたり、
邪馬台国が魏へ使者を送るなど、
良好な関係が築かれたといわれています。
卑弥呼ってどんな人?
鬼道に仕えた
女王になった卑弥呼のことを、
魏志倭人伝では次のように記しています。
鬼道につかえ、よく衆を惑わす
卑弥呼は「鬼道(きどう)」という呪術によって
神のお告げを聞き、国を治めたとされています。
卑弥呼の弟が国政を補佐
卑弥呼に会うことを許されたのは、弟だけで
卑弥呼から神の言葉を伝えられた弟は、
村人たちにそれを伝えて、お告げ通りに
政治を治めたということです。
また、卑弥呼は結婚もしておらず
子どももいなかったということで、
身の回りの世話も弟がしていたそうです。
卑弥呼は神格化されていた
魏志倭人伝には
次のようにも記されています。
王となって以来、その姿を見る者少なく、婢1000人を侍らせた
これは卑弥呼が宮殿の奥深くにいた
巫女のような存在だったことが分かります。
当時の邪馬台国において、神との対話を
行えるという神秘的な存在であることを
アピールしていたのかもしれません。
卑弥呼は神格化されていたようですね。
最後に
卑弥呼とはどんな人なのか、
何をした人なのか、などなど
卑弥呼について
この記事でなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説しました。
少しでもあなたの参考になれば幸いです。