喜多川歌麿(きたがわうたまろ)は
江戸時代を生きた浮世絵師です。
誕生時期:1753年
死亡時期:1806年10月31日
喜多川歌麿とはどんな人だったのか?
代表作品は何なのか?
何をした人だったのか?などなど
喜多川歌麿について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。
喜多川歌麿ってどんな人?
喜多川歌麿の誕生日
喜多川歌麿は1753年(宝暦3年)頃に
誕生したとされています。
※喜多川歌麿の具体的な誕生日は不明です。
誕生日、出生地、出身地など、
自身の生涯については謎の多い人物です。
はじめは”北川”姓でしたが、
のちに”喜多川”と名乗ります。
喜多川歌麿と大首絵
はじめ、狩野派の浮世絵師であった
鳥山石燕(とりやませきえん)に絵を習います。
1784年頃に出版業者の
蔦谷重三郎(つたやじゅうざぶろう)に見出され、
新人絵師として黄表紙の挿絵や錦絵を手掛けます。
1790年に絵本の仕事を辞めて
大首絵(おおくびえ)を発表します。
大首絵とは、上半身より上の
顔を重視して描く浮世絵のことです。
また、喜多川歌麿は大首絵で
女性の官能的な美を描き出したことでも
高く評価されています。
これまでひとつの絵に
多くの人々を描く作品が主流であった
当時の人々には新鮮な喜びとなって、
喜多川歌麿は一躍人気絵師となります。
喜多川歌麿と手鎖50日の処分
1804年に喜多川歌麿が描いた
「太閤五妻洛東遊観之図」が、
当時幕府で行っていた寛政の改革に
よる処罰の対象となります。
喜多川歌麿は、幕府に捕縛されて
手鎖50日の処分を受けてしまいます。
この刑の後、喜多川歌麿は
ほどなく病気になってしまったそうです。
喜多川歌麿の最期
喜多川歌麿は
1806年10月31日(文化3年9月20日)に
亡くなります。享年54歳。
喜多川歌麿の代表作品は?
喜多川歌麿の代表作品を一部紹介します。
- 寛政三美人
- ビードロを吹く娘
これらの作品について
以下で簡単に解説します。
寛政三美人【喜多川歌麿の代表作品】
喜多川歌麿の「寛政三美人」は
有名な浮世絵のひとつです。
これは寛政時代(1789~1801年)の三美人と
言われた女性を描いた華やかな作品です。
- 富本豊ひな(吉原芸者)
- 難波屋のおきた(水茶屋)
- 高島屋おひさ(水茶屋)
喜多川歌麿は、この評判の美女たちを
繰り返し描いて、浮世絵美人画の第一人者となったのです。
ビードロを吹く娘【喜多川歌麿の代表作品】
「ビードロを吹く娘」も
喜多川歌麿が描いた美人画です。
似た顔を描くだけでなく、人格まで
描き分けようとした喜多川歌麿の
婦人相学十躰(ふじんそうがくじったい)の一つです。
十躰とありますが、5作品しか
現存しておらず、貴重な作品です。
最後に
喜多川歌麿とはどんな人だったのか?
代表作品は何なのか?
何をした人だったのか?などなど
喜多川歌麿について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説しました。
少しでもあなたの参考になれば幸いです。