結論からいいますと
レオナルド・ダ・ヴィンチの死因は不明です。
- レオナルド・ダ・ヴィンチの誕生日:1452年4月15日
- レオナルド・ダ・ヴィンチの命日:1519年5月2日
※レオナルド・ダ・ヴィンチの最期の年齢は67歳
レオナルド・ダ・ヴィンチの死因の説として
「脳卒中による病死」という説もありますが
実際のところ死因は明らかになっていません。
※ちなみにレオナルド・ダ・ヴィンチが生きた時代は、日本だと室町時代の頃です
レオナルド・ダ・ヴィンチはどんな人だった?【生涯(最初から最期まで)をわかりやすく簡単に】
レオナルド・ダ・ヴィンチは
イタリアの芸術家です。
1452年4月15日にイタリアで誕生し
1519年5月2日に67歳で亡くなりました。
以下では
レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯についてわかりやすく簡単に紹介します。
※レオナルド・ダ・ヴィンチの死因考察にもぜひご活用ください
レオナルド・ダ・ヴィンチ、弟子入りする
レオナルド・ダ・ヴィンチは
14歳のときに、
アンドレア・デル・ヴェロッキオさんの
経営する工房に入門します。
ヴェロッキオさんは
フィレンツェの画家で
彫刻家としても有名な方です。
そこで様々な経験を積んだ
レオナルド・ダ・ヴィンチは
「万能人」としての才能を開花させます。
万能人(ばんのうじん)とは、
- 芸術
- 技術
- 科学
など、あらゆる分野で才能を発揮する
ルネサンスの理想の人間像を指します。
絵画や彫刻だけでなく
設計や機械工学といった、
芸術だけではない分野についても、
この時期から活動し始めたといわれています。
画家「レオナルド・ダ・ヴィンチ」
画家として、
初期はミラノ公に仕え、
晩年はフランス王フランソワ1世から
頂いたフランスの邸宅で過ごします。
レオナルドさんの絵画作品の中で
「モナ=リザ」の肖像画と
「最後の晩餐」は最も有名な代表作です。
どちらの作品も、
従来のフレスコ画でなく
油絵技法によって描かれたものです。
彫刻家「レオナルド・ダ・ヴィンチ」
彫刻では
ミラノ公のために作った
「騎馬像」などが有名です。
万能人「レオナルド・ダ・ヴィンチ」
ダ・ヴィンチは
科学者や土木建築家としての一面もあり、
- 潜水艦
- 飛行機
- ヘリコプター
- 戦車
などを構想し
人体の解剖も行いました。
また、「リラ」という
楽器の演奏にもすぐれた
音楽家であったという記録も残っており、
ルネサンス期の万能人として
現在まで称されています。
レオナルド・ダ・ヴィンチの最期
- レオナルド・ダ・ヴィンチの誕生日:1452年4月15日
- レオナルド・ダ・ヴィンチの命日:1519年5月2日
※レオナルド・ダ・ヴィンチの最期の年齢は67歳
レオナルド・ダ・ヴィンチの死因の説として
「脳卒中による病死」という説もありますが
実際のところ死因は明らかになっていません。
レオナルド・ダ・ヴィンチの最期は謎のままですが
クロ・リュセ城が最期の家として今も残っています。
※クロ・リュセ城はフランスにある城
レオナルド・ダ・ヴィンチに関する著書
レオナルド・ダ・ヴィンチに
関する著書がいくつもあるので、
ここでは2つ紹介します。
- レオナルド・ダ・ヴィンチの手記
- レオナルド・ダ・ヴィンチ 絵画の書
これらの著書について
以下で解説します。
レオナルド・ダ・ヴィンチの手記
「レオナルド・ダ・ヴィンチの手記」は
レオナルド・ダ・ヴィンチの手記本です。
「モナ=リザ」や「最後の晩餐」などの
傑作を残した画家であり
彫刻家・建築家、天文学・物理学の
造詣も深かった天才が残した
膨大なノートを手記としてまとめています。
レオナルドさんの
絵画論、人生論、天文学をまとめた1冊です。
レオナルド・ダ・ヴィンチ 絵画の書
「レオナルド・ダ・ヴィンチ 絵画の書」は
レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画論です。
ルネサンスの万能の天才が遺した
膨大な手稿より絵画に関する
あらゆる論考を収載したウルビーノ稿本は
絵画と諸芸術の比較や画家の教則を始め
- 人体
- 光と影
- 植物
- 雲
- 地平線
など、森羅万象の表現法を詳細に論じ、
ルネサンス絵画研究の最重要文献といえます。
本書は全944章を読み解く1冊です。