長屋王の変(ながやおうのへん)は
奈良時代に起こった事件です。
謎も多い事件ですが、
政治的陰謀事件として有名です。
長屋王の変とは何か?
どのような事件だったのか?などなど
長屋王の変について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。
長屋王の変とは?
長屋王の変とは、729(天平1)年に
長屋王を打倒するために藤原氏が
仕組んだ政治的陰謀事件です。
藤原氏というのは
藤原不比等の4人の子ども(息子)たちです。
彼らは藤原四兄弟と呼ばれています。
- 藤原武智麻呂(ふじわらのむちまろ)
- 藤原房前(ふじわらのふささき)
- 藤原宇合(ふじわらのうまかい)
- 藤原麻呂(ふじわらのまろ)
この事件によって、
729年3月16日(天平1年2月12日)に
長屋王は自殺してしまいます。
長屋王の変ってどんな事件?
長屋王の変は奈良時代の
729年2月10日に起こります。
中臣宮処東人(なかとみのみやところのあずまびと)と
漆部君足(ぬりべのきみたり)の2人が、
「左道(邪道)を学んで国家反逆を計画している」
と長屋王のことを朝廷(政府)に密告したことが始まりです。
その密告内容の中には、
「長屋王が基王を呪いで殺した」
という内容が含まれていたと考えられています。
※基王(もといおう):1年前(728年)に亡くなった聖武天皇の子ども
当時は呪いが信じられていた時代で
特に仏教を強く信仰していた聖武天皇は
この密告を受けて、すぐに兵を出します。
ちなみに兵を出したのは、
藤原四兄弟の一人の藤原宇合です。
長屋王の自宅の周囲は兵で囲まれます。
死を悟った長屋王は、抵抗せずに
妻子たちと共に自害したと言われています。
長屋王の変の経緯
ここでは
長屋王の変の経緯を
解説していきます。
- 力をつける長屋王
- 皇位継承問題
力をつける長屋王【長屋王の変の経緯】
当時は聖武天皇の治世でした。
※治世(ちせい):トップとして世の中を治めること。その期間。
長屋王は、聖武天皇の即位に合わせて
右大臣から左大臣へ昇進しており、
朝廷(政府)で強大な権力を手にいれていました。
当時権力者であった藤原氏(藤原四兄弟)は
この長屋王の勢いに恐怖を感じます。
そして次第に、
長屋王と藤原氏は対立を深めていきます。
皇位継承問題【長屋王の変の経緯】
727(神亀4)年に
聖武天皇と藤原光明子との間に
基王(もといおう)が誕生し、基王は
公式に皇太子と定められました。
しかし基王は
産まれてからすぐに亡くなってしまう。
一方、聖武天皇にはもう一人
県犬養広刀自(あがたのいぬかいのひろとじ)という
夫人がいて、2人の間に安積親王を授かります。
基王が亡くなってしまったことで
聖武天皇の男子は唯一安積親王となります。
しかし安積親王が天皇になると藤原氏は、
将来権力の座を追われかねなくなります。
藤原四兄弟は、この事態を
阻止する必要があると考えます。
こうして聖武天皇の皇位継承に
不安が生じた状況の中で、藤原四兄弟が
長屋王一家を抹殺する計画を実行。
「長屋王が基王を呪いで殺した」
などという内容を密告させ
聖武天皇の心を動かすことに成功しました。
最後に
長屋王の変とは何か?
どのような事件だったのか?などなど
長屋王の変について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説しました。
少しでもあなたの参考になれば幸いです。