野々村仁清ってどんな人?何をした人?【わかりやすく簡単な言葉で解説】

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仁清 (日本陶磁大系)

 

野々村仁清(ののむらにんせい)
江戸時代前期を生きた陶工です。

誕生時期:1648年
死亡時期:1690年

 

優雅な色絵陶器を完成させて
「京焼の大成者」として知られます。

 

野々村仁清とはどんな人だったのか
何をした人だったのか?などなど
野々村仁清について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。

 

野々村仁清ってどんな人?

国宝 仁清の謎 (角川叢書)

野々村仁清の誕生日

野々村仁清は、丹波国桑田郡野々村
(現在の京都府南丹市美山町)で誕生します。
※野々村仁清の誕生日は不明です。

 

本名は清右衛門(せいえもん)です。

 

野々村仁清と仁和寺御室窯

野々村仁清は若い頃に
京都の粟田口や愛知県の尾張、瀬戸で
陶芸の修行をしたと言われています。

 

のち京都の御室(おむろ)に戻り、
1644年から1648年の正保年間頃に
仁和寺の門前に窯を築きます。

この窯は御室窯(おむろがま)と呼ばれ有名です。

 

野々村仁清の『仁清』

また野々村仁清は『仁清』の印をおして、
自分の作品である跡を残したのです。

当時、このように近代的な
「芸術家」としての意識をもった
陶工家はおらず、野々村仁清は
先駆者といえるでしょう。

 

『仁清』という名前は
仁和寺の「仁」清右衛門の「清」から
一字取り、僧から賜ったと伝わります。

 

野々村仁清と轆轤

野々村仁清は
御室、音羽、御菩薩(みぞろ)など
京都の各地で陶器を作ります。

特に轆轤(ろくろ)の技に優れていて
大ぶりの作品でも、ほころびなく均一な薄さに
挽きあげる技は高く評価されています。

 

京焼の大成者である野々村仁清

また、宇和流茶道の祖である茶人の
金森宗和(重近)の指導を得たそうです。

 

金森宗和の指導のもとで
唐物や瀬戸写しの茶入れなどをつくります。

 

そして漆で模様を描いて金銀粉を
固着させる蒔絵(まきえ)の味わいを
応用した優美な色絵陶器を完成させます。

他にも仁清釉と呼ばれる
茶器類も造りあげて、京焼の大成者と称されます。

 

野々村仁清の最後

野々村仁清は
1690年に亡くなったとする説や
万治年間(1658~1661年)の説などあり、
没年も分かってはいません。

 

野々村仁清のお墓は
京都市の妙光寺に安置されています。

 

野々村仁清の作品について

日本のやきもの〈7〉仁清・乾山・頴川・木米 (講談社カルチャーブックス)

ここでは野々村仁清の代表的な
作品を簡単に解説していきます。

  • 色絵藤花文茶壺
  • 色絵雉香炉

色絵藤花文茶壺【野々村仁清の作品】

日本普通切手 カラーマーク 色絵藤花文茶壺 410円 

 

『色絵藤花文茶壺』国宝
MOA美術館に展示されています。

この色絵藤花文茶壺は
野々村仁清の茶壺の中でも
最高傑作として名高く、
京風文化を象徴しています。

 

底裏に「仁清」の大印がおされています。

 

色絵雉香炉【野々村仁清の作品】

日本切手 国宝シリーズ(第1次) 色絵雉香炉(野々村仁清)

『色絵雉香炉』は国宝
石川県立美術館に展示されています。

香炉とは
お香をたくのに使うための容器で、
(きじ)姿にあしらわれています。

この雉の背中には穴が開いていて
使われていた痕跡が残っています。

 

最後に

すぐわかる琳派の美術

 

野々村仁清とはどんな人だったのか
何をした人だったのか?などなど
野々村仁清について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説しました。

 

少しでもあなたの参考になれば幸いです。

 

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