明治時代、日本と
諸国との間で様々な事件が起こりました。
その中でも有名なノルマントン号事件は
日本と欧米諸国との関係を改善する
きっかけとなります。
ノルマントン号事件とは何か?
どのような事件だったのか?などなど
ノルマントン号事件について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。
ノルマントン号事件とは?
ノルマントン号事件とは、
1886(明治19)年10月24日に起こった
日本とイギリスの紛争事件です。
1886年10月24日に、
イギリスの貨物船ノルマントン(Normanton)号が
和歌山県沖(紀州大島沖)で沈没します。
そのときに船長ドレーク以下の
イギリス船員26名は救命ボートに
乗り移って救助されました。
しかし、日本人の乗客25名は
船中に残されて全員死亡したのです。
領事裁判権に基づいて行われた神戸の
イギリス領事ツループによる
海難審判は船長ドレークが無罪となります。
日本国民はこの判決に怒り、
日本政府も世論に押されて告訴します。
再審で、横浜の領事裁判所は
船長を禁錮3か月の刑に処します。
この軽い判決を知った
日本国民の怒りはおさまらず、
不平等条約改正の運動をより刺激することとなりました。
不平等条約について
ここでは
不平等条約について
解説していきます。
なぜ不平等条約は結ばれた?
なぜ日本は外国と
不平等条約を結んでしまったのでしょうか?
それは幕末の江戸幕府が、1858年に
アメリカをはじめとする5か国と結んだ
安政の5か国条約から始まったのです。
- 日米修好通商条約
- 日英修好通商条約
- 日仏修好通商条約
- 日蘭修好通商条約
- 日露修好通商条約
安政期に結ばれた安政の5か国条約は
領事裁判権を認めることと、
関税自主権がないことが
はっきりと示されています。
これらの内容は、幕末期には
あまり大きな問題にはなりませんでした。
しかし明治時代以降、不平等条約による
様々な問題が浮き彫りになったのです。
領事裁判権とは?
領事裁判権とは、
外国人が在留国において
自らの領事官による裁判を受ける権利を言います。
ノルマントン号事件の場合は、
イギリスの船長が日本において
イギリスの領事官による裁判を受けています。
これを認めることは、
在留国で犯罪をおこしても
在留国にとって不利な判決をされてしまい
治安が乱れてしまいます。
1899(明治32)年に
新通商航海条約が結ばれたことによって
領事裁判権の廃止が実現されました。
最後に
この記事では
ノルマントン号事件とは何か?
どのような同盟だったのか?などなど
ノルマントン号事件について
なるべくわかりやすく簡単な言葉で解説しました。