ポーツマス条約とは?【内容や場所などをわかりやすく解説】

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同盟成立の瞬間
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ポーツマス会議の人々―小さな町から見た講和会議

 

明治時代になると
日本とロシアの間で日露戦争が起こり、
ポーツマス条約が結ばれます。

 

ポーツマス条約とは何か?
内容や締結された場所は?などなど
ポーツマス条約について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。

 

ポーツマス条約とは?

序曲「ポーツマス・ポイント」 (1999 - Remaster)

ポーツマス条約とは
1905(明治38)年9月4日
日本とロシアとの間で結ばれた
日露戦争の講和条約です。

日露講和条約とも称し、
日本時間では9月5日
締結されたことになります。

 

アメリカ合衆国の大統領である
セオドア・ルーズベルトの仲介によって
1905年8月10日から講和会議が開かれます。

そして日本全権(外務大臣)小村寿太郎
ロシア全権セルゲイ・Y・ウィッテ
ポーツマス条約の調印をしたのです。

 

ポーツマス条約が結ばれた場所

ポーツマス条約は、アメリカ合衆国の
ポーツマス海軍造船所で結ばれます。

 

当時アメリカは日本とロシアの
どちらの味方でもなく中立な立場にいました。

 

日本は強豪国であるアメリカとは
友好的な関係でありたいと考えます。

そこで外務大臣の小村寿太郎は
アメリカ大統領のルーズベルトに中立な
友誼的斡旋を要請したのです。

※友誼=親友のよしみ、友情。
※斡旋=両者の間を取り計らうこと。

 

ポーツマスは軍港で、警備が容易で
別荘が立ち並ぶ避暑地であったなど
調印の場所の条件がそろっていたそうです。

 

ポーツマス条約の内容

ポーツマスの旗 (新潮文庫)

ここでは
ポーツマス条約の内容
ついて解説していきます。

  • 朝鮮半島における日本の優越権
  • 日本の旅順と大連の租借権
  • 南樺太を日本に割譲
  • 日本の南満州の鉄道権利
  • 日本の沿海州、カムチャッカ漁業権

 

日露戦争に勝利した日本は、
多くの有利な権利を手に入れます。

このポーツマス条約で日本は
韓国の保護権、遼東半島南部の租借権、
南樺太などを獲得し、大陸進出を果たしたのです。

 

なぜ日本は賠償金がもらえなかった?

日本に有利な内容のポーツマス条約を
結びましたが、国内では不満の声が上がります。

それは日本は
ロシアから賠償金がとれなかったから。

 

なぜ、日本は賠償金をもらえなかったのか?

それはロシアが断固として
賠償金を支払うことを拒否し続けたのです。

これを受け入れないと、
戦争は止めないと日本側に主張します。

 

一応日露戦争に勝利をした日本でしたが、
お金、人、兵器もギリギリの状態でした。

小さな島国である日本が、これ以上
戦争を続けると負けてしまうことが
両国分かっていたのです。

 

日本全権の小村寿太郎は仕方なく
賠償金なしのポーツマス条約を結びました。

 

日露戦争で日本は、
当時の国家予算の7倍にあたる20億円を
戦費として約1年半で使ってしまいました。

苦しい生活を我慢して戦争に
協力した日本国民はこの条約に当然不満を持ちます。

そして全国で条約反対の運動が起こり、
警察署や内相官邸、新聞社などを襲う
日比谷焼打ち事件などが起こったのです。

 

最後に

日露戦争物語(1) (ビッグコミックス)

この記事では
ポーツマス条約について
なるべくわかりやすく簡単な言葉で解説しました。

 

少しでも参考になれば幸いです。

 

 

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