坂田藤十郎(さかたとうじゅうろう)は
日本の歌舞伎役者です。
江戸時代に活躍した初代坂田藤十郎の
名を231年ぶりに襲名しました。
坂田藤十郎とはどんな人だったのか?
何をした人だったのか?などなど
坂田藤十郎について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。
「初代」坂田藤十郎について
まずは、江戸時代の元禄期に活躍した
「初代」の坂田藤十郎について簡単に解説します。
「初代」坂田藤十郎の誕生日
初代の坂田藤十郎は
1647年(正保4年)に京で誕生します。
※坂田藤十郎の具体的な誕生日は不明です。
「初代」坂田藤十郎と上方歌舞伎
1676年に歌舞伎の初舞台を果たし、
のちに軟弱な色男の恋愛描写を
中心とした和事(わごと)芸を確立させます。
そして1670年代に、江戸歌舞伎に
上方歌舞伎(かみがたかぶき)という
京や大阪の柔らかさと色気を加えた
関西独自の歌舞伎を取り入れたのです。
「初代」坂田藤十郎の最期
「初代」坂田藤十郎は
1709年12月1日(宝永6年11月1日)に
亡くなります。享年63歳。
「四代目」坂田藤十郎について
ここでは四代目の
坂田藤十郎について紹介します。
「四代目」坂田藤十郎の誕生日
四代目の坂田藤十郎は
1931年(昭和6年)12月31日に
二代目中村鴈次郎(がんじろう)の長男として誕生。
本名は林宏太朗です。
妹は女優の中村玉緒、
妻は女優と政治家の扇千景です。
また、「四代目」坂田藤十郎と
「初代」坂田藤十郎の血縁関係はありません。
「四代目」坂田藤十郎と歌舞伎
「四代目」坂田藤十郎は
1941年に二代目中村扇雀を襲名し、
初舞台を果たします。
さらに1990年に
三代目中村鴈次郎を襲名します。
「四代目」坂田藤十郎襲名
1774年に、三代目坂田藤十郎が
仙台で亡くなった後は「坂田藤十郎」を
襲名する者がいませんでした。
そのため、「坂田藤十郎」の名跡には
200年以上もの空白の期間ができます。
三代目中村鴈次郎は、
衰退してしまっていた上方歌舞伎を復興し、
大名跡を復活させたいと考えたそうです。
それは元禄時代に
江戸の市川團十郎と上方の坂田藤十郎が
競い合いながら歌舞伎界を
盛り上げたことを見本としたのです。
そして2005年に、
「四代目」坂田藤十郎を襲名します。
江戸時代の三代目坂田藤十郎から
実に231年ぶりの襲名となったのです。
四代目坂田藤十郎は、
重要無形文化財保持者(人間国宝)に選ばれています。
最後に
坂田藤十郎とはどんな人だったのか?
何をした人だったのか?などなど
坂田藤十郎について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説しました。
少しでもあなたの参考になれば幸いです。