シベリア出兵(シベリアしゅっぺい)は
大正時代に起きた、ロシア革命に対する干渉戦争の一つです。
この出来事によって、日本では
米騒動などへと発展していきます。
シベリア出兵とは何か?
どのような干渉戦争だったのか?などなど
シベリア出兵について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。
シベリア出兵とは何か?
シベリア出兵とは
1918(大正7)年~1922(大正11)年にかけて
ロシア革命への干渉を目的に、
主に次の4か国が出兵した出来事です。
- アメリカ
- イギリス
- フランス
- 日本
しかしシベリア出兵では
あまり成果は得られませんでした。
シベリア出兵の経緯
1917年11月、ロシア革命が勃発します。
ロシアではレーニンという指導者によって
ソビエト政権が樹立します。
当時、連合軍は対ドイツとの
第1次世界大戦の最中でした。
その状況を好転させるために、
フランスやイギリスは兵力や地理(距離)の関係から
日米両国に共同干渉を要請したのです。
第1次世界大戦中の1918年1月1日に
イギリスは日本に対して、ウラジオストックにある
軍需品が敵国のドイツへ渡ることを警戒し
日本軍を主力とする連合軍の派兵を提案。
しかし、アメリカが日本の出兵に反対します。
日本は対米協調を優先する立場から、
一度はシベリア出兵を拒否しました。
ところが1918年5月、ロシアで新しい事態に。
開戦当初、チェコスロバキア軍は、
ロシア軍の中に入ってドイツと戦っていましたが
ロシア革命によってソビエト政権に変わると、
ドイツと条約を結んで第1次世界大戦から離脱したのです。
日本の大陸進出を恐れていたアメリカでしたが、
ロシア軍によるチェコスロバキア軍の
皆殺しが伝わり、アメリカは日米共同での出兵を決定しました。
シベリア出兵の目的
シベリア出兵の目的は
チェコスロバキア軍捕虜救出
という大義名分で行われます。
しかし実際の大きな目的は
ロシア革命への武力干渉といえるでしょう。
第1次世界大戦中であった
イギリスやフランスの連合軍らは
シベリアにおいて干渉戦争をはじめることで
ドイツに東部戦線を意識させつつ
同時にソビエト政権を打倒する狙いがあったのです。
シベリア出兵と日本
日本は兵力7万3000人と当時で
10億円にのぼる巨額の戦費を投入しています。
アメリカやイギリスなど他国は
1920年に撤退したのに対して、
その後も日本は単独駐在を続けます。
尼港(にこう)事件の報復と賠償保障のため
樺太などの占領もしたのです。
しかし国内外からの批判により
1922(大正11)年に撤兵しました。
日本軍の死者は3000人以上と言われています。
また、日本国内では
シベリア出兵にそなえて政府が米を買い占め、
商人たちが米を売り惜しみしたことが原因で
米騒動が全国各地で起こりました。
最後に
シベリア出兵とは何か?
どのような干渉戦争だったのか?などなど
シベリア出兵について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説しました。
少しでもあなたの参考になれば幸いです。