刀伊の入寇(といのにゅうこう)は
平安時代に起きた事件です。
日本史上初めて発生した外国勢力による
大規模な侵攻事件と言われています。
刀伊の入寇とは何か?
どのような事件だったのか?などなど
刀伊の入寇について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。
刀伊の入寇とは?
刀伊の入寇は、1019(寛仁3)年に
海賊が壱岐、対馬を襲って、さらに
北九州に侵攻した事件です。
刀伊とは、朝鮮語で女真族という
大陸北部の蛮族のことで、日本を
襲撃したのは女真族の海賊だったそうです。
当時の朝鮮半島は、高麗(こうらい)でしたが
海賊たちは高麗を襲撃するだけに留まらず
日本にまで侵攻してきたのです。
刀伊の入寇事件の内容
海賊の襲撃自体は、九州北部では
何度も起こっていたそうです。
しかし、今回は女真という
野蛮人だった為、被害は甚大でした。
1019年3~4月に賊船約50隻で
壱岐や対馬、北九州地方を襲います。
対馬で略奪、殺害、放火をはたらきます。
壱岐島では国司の藤原理忠が殺害され、
島民も殺害、拉致されてしまいます。
さらに北九州地方を襲って、大宰権帥の
藤原隆家率いる軍団と1週間にわたって
大戦闘を繰り広げます。
そして約1300人の日本人を
拉致した状態で引き揚げてしまいます。
結果、
日本人365人が殺害されてしまって
およそ1300人が拉致されるという
大規模な事件となったのです。
また、拉致された日本人200人あまりを、
のちに高麗が奪い返して日本に送還します。
この事件を通じて断交状態にあった
日本と高麗の関係が好転したそうです。
当時の日本【刀伊の入寇】
当時の日本は、藤原氏による
摂関政治が確立していました。
しかし彼ら平安貴族の国際意識は
かつての奈良時代の律令貴族と
比べると、著しく低下していたそうです。
そのため当時の日本では、刀伊が
女真であることは、知られていませんでした。
政府は、海賊が高麗と無関係であることを
知った後も、高麗への警戒をゆるめません。
そして高麗が拉致された日本人を
送還したにも関わらず、特に
恩返しなどはしなかったそうです。
刀伊の入寇は、地方で起きたこともあり
当時の貴族たちは鈍感で冷淡、
あまりいい対応ができた事件とは言えませんでした。
最後に
刀伊の入寇とは何か?
どのような事件だったのか?などなど
刀伊の入寇について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説しました。
少しでもあなたの参考になれば幸いです。