秩禄処分(ちつろくしょぶん)は
明治時代に行われた政策です。
秩禄処分とは何か?
どのような政策だったのか?などなど
秩禄処分について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。
秩禄処分とは?
秩禄処分とは
明治政府が1876(明治9)年に
江戸時代に武士がもらっていた
俸禄(秩禄)を廃止した政策です。
秩禄とは、家禄(かろく)と
賞典禄(しょうてんろく)を合わせた呼称です。
家禄は、華族や士族に与えられるお金で
賞典禄は明治維新期の功労者に付与されたお金。
江戸時代までの仕組みとしては
武士は主従関係にあった主君のために
戦などに出ると、給与を受け取りました。
旧幕臣は徳川家から、諸藩の藩士は
藩主から金や米などを受け取っていたのです。
秩禄処分の目的
秩禄処分を行った最大の目的は
明治政府にとって大きな負担となっていたから。
この秩禄は
明治新政府の歳出の30%以上を占め、
大きな問題点だったのです。
西南戦争が起こった1877年の
秩禄に対する支出は30%にも上ります。
ちなみにこれは20%の
軍事費も大きく上回っています。
士族は必要ない!?【秩禄処分の目的】
1871年に廃藩置県によって、全国の
士族に対する家禄、賞典禄などの秩禄は、
明治政府によって支給されることになります。
さらに1873年には徴兵令が出された為、
男子には兵役義務があったのです。
もう武士にお金を払って
戦争に出てもらう必要はなくなったのです。
秩禄処分の内容
一気に秩禄を廃止にすると
士族たちが反発する恐れがあったので
明治政府は慎重に政策を行います。
- 秩禄奉還の法
- 金禄公債証書発行条例
これらの政策について
以下で簡単に解説します。
秩禄奉還の法【秩禄処分の内容】
1873年、明治政府は
秩禄奉還を希望する者に対して
半分は現金、残りの半分は公債を与えます。
公債とは国が出す借金証書であり
利子率8%で7年間支払う内容です。
まずこの政策によって家禄の
3分の1を削減することに成功します。
金禄公債証書発行条例【秩禄処分の内容】
1876年、
華族や士族の秩禄支給を廃止して
かわりに金禄公債証書を交付します。
これは秩禄奉還の法とは異なり、
強制的に発行されています。
明治政府は「今はお金が払えませんが、
その公債証書を持っていれば利子も払います。
少しずつ抽選で当たった人から返済します。」
と、今でいう国債のような対応をしたのです。
これにより明治政府は
今すぐ支払わなければならないお金を
将来に引き延ばすことができました。
最後に
秩禄処分とは何か?
どのような政策だったか?などなど
秩禄処分について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説しました。
少しでもあなたの参考になれば幸いです。