「米騒動(こめそうどう)」とは
大正時代に起きた暴動事件です。
この米騒動は、大正デモクラシー期の
護憲運動や普通選挙運動などにも影響を与えました。
米騒動とは何か?暴動が起きた原因や、
富山県が発祥という噂の真意なども
この記事でなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。
米騒動とは何か?
米騒動は1918(大正7)年7月22日から始まった
米の価格急騰に伴う民衆の暴動事件です。
「1918年米騒動」とも呼ばれています。
第一次世界大戦後、お米が市場に
出回らなくなり、お米の価格が急騰します。
民衆は深刻な食糧危機と
生活難に陥ってしまいます。
こうした状況下の7月22日、
富山県魚津の漁村の主婦たちは
我慢できなくなり米屋におしかけて
安売りを要求します。
さらに同県産米の
県外移出阻止運動を起こします。
この騒動が新聞に掲載されると、
全国各地で群衆が米商人や大商人などを
おそう暴動が2か月近くも続きました。
同年9月19日までに1道3府32県、
約500か所で暴動が行われ、約70万人が
参加したと推定されています。
米騒動は富山県が発祥ではない!?
米騒動の発祥の地として
富山県がとても有名です。
しかし実は富山県が発祥ではなく
富山県の米騒動が起こる1年前くらいから
大都市で米騒動が始まっていたそうです。
米騒動が起きた原因は?
日本の資本主義経済は
第1次世界大戦の影響で急速に発展します。
大儲けした成金が出る反面で
物価騰貴が甚だしく、この時代の
大衆は生活に苦しんでいました。
さらに1918年には
シベリア出兵などで
政府が米を買い入れます。
国にお米を売りたい米商人たちは、
米の買い占めを行い、市場への
米の出し惜しみをしたのです。
その結果
米価は戦前の4倍にまで高騰してしまい、
人々はお米を買えなくなってしまったのです。
これはシベリア出兵などの軍備の一環として
政府が米の買い占めを始めたことが原因で
起こったため、「政府の失策」といわざるをえません。
米騒動の影響
政府は警察や軍隊を出動させ、
安い国外米を輸入するなどして
騒動を鎮めることとなりました。
また、米騒動によって
寺内正毅(まさたけ)内閣は総辞職します。
代わって政友会の原敬(はらたかし)を首相とする
本格的政党内閣が誕生することなります。
米騒動は一定の政治的自由を拡大させて
その後の大衆運動発展の基礎となり、
おおいに意義のある成果が生まれたのです。
最後に
米騒動とは何か?
原因は何だったのか?などなど
「米騒動」について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説しました。
少しでもあなたの参考になれば幸いです。