沖田総司(おきたそうじ)は
新撰組の一番隊組長として活躍しました。
そんな沖田総司は
どんな刀を使用していたのでしょうか?
この記事では
沖田総司の刀について紹介していきます。
沖田総司について
沖田総司は、9歳という若さで
天然理心流の道場、試衛館へ入門します。
また、少年であったにも関わらず
実力は大人にも負けない程であり、
早々に塾頭に抜擢されます。
さらに沖田総司は坂本龍馬と同じ
北辰一刀流の免許皆伝も得ていたと伝わっています。
このように沖田総司は、
新撰組内外の人々から「天才的剣法者」と評される程、剣術の優れた人物でした。
沖田総司の刀について
沖田総司は、生涯のうちに
次の刀を使用していたとされています。
- 菊一文字則宗(きくいちもんじのりむね)
- 加州清光(かしゅうきよみつ)
- 大和守安定(やまとのかみやすさだ)
これらの刀について以下で解説していきます。
菊一文字則宗【沖田総司の刀】
菊一文字則宗(きくいちもんじのりむね)は
沖田総司の愛刀として知られています。
長さは二尺四寸二分で、
福岡一文字派の祖で備前国の刀工の
則宗作とされています。
しかし、菊一文字則宗の所在は
現存していないのです。
子母澤寛(しもざわかん)の伝記
「新選組始末記」の中で、
”菊一文字細身のつくり”と
記載されていたことや、司馬遼太郎の作品
「新選組血風録」の中にある
”菊一文字”という話で、沖田総司が
菊一文字則宗を入手したという記載があります。
しかし、当時すでに国宝級の刀とされ、
非常に貴重かつ大名でさえ手に入れることが
難しいとされた則宗の刀を使っていたというのは無理があるという説もあります。
加州清光【沖田総司の刀】
加州清光(かしゅうきよみつ)は、沖田総司が
有名な池田屋事件で使った刀と伝わっています。
池田屋事件では
病が原因で途中から離脱しますが、
それでも刀の先が折れてしまう程
激しい戦いだったようです。
そして、沖田総司が加州清光を
鍛冶屋に持っていき修復を依頼しますが、
修復できないということで返却された
という記録も残っています。
しかし、この刀の先が折れている加州清光は現存していません。
大和守安定【沖田総司の刀】
大和守安定(やまとのかみやすさだ)は
切れ味が鋭くて、虎徹に似た刀だったそうです。
沖田総司が尊敬していた近藤勇の
愛用していた虎徹に似ていたことから、
この大和守安定を使っていたと言われています。
また、菊一文字則宗ではなく
この大和守安定を使っていたとする説が存在します。
この大和守安定も現存しておらず、
実際に使用していたのかも定かではありません。
最後に
この記事では
新撰組の一番隊組長である
沖田総司の刀について紹介しました。