池田屋事件とは何か?わかりやすく解説【事件の場所や関係人物についても紹介】

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池田屋事件の研究 (講談社現代新書)

 

江戸時代の幕末期には
様々な思想を抱えた志士たちがおり、
旅館に集まって今後の日本について
密談することが多かったようです。

 

そしてそれを弾圧するために
旅館に襲撃する事件も多々起こりました。

 

幕末期に活躍したことで有名な
新撰組が関わった池田屋事件とは
どのような事件だったのでしょうか?

 

池田屋事件とは何か?
事件の場所や関係人物などなど
池田屋事件について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。

 

 

池田屋事件とは?

池田屋乱刃

まずは
池田屋事件について
簡単に解説します。

 

池田屋事件は
1864年7月8日(元治元年6月5日)に、
池田屋に潜伏していた長州藩や土佐藩などの
尊王攘夷派の志士を新選組が襲撃した事件です。

 

新撰組局長である近藤勇は、
書面において池田屋事件のことを
洛陽動乱(らくようどうらん)と名付けています。

 

池田屋事件までの流れ

1863年8月18日、長州藩は
八月十八日の政変によって
京都から追放されてしまいます。

 

それでも尊王攘夷派長州藩士たちは
あきらめずに勢力挽回を画策します。

 

そして京都に潜入した尊王攘夷派は
肥後藩士の宮部鼎三(ていぞう)が首謀者となって
公武合体派の中川宮以下公卿、大名らを
暗殺して、反乱を起こす計画を立てたのです。

 

この計画は、尊王攘夷派の志士たちを
支援していた枡屋の小高俊太郎を捕まえた際に
新撰組が自白させたと伝わっています。

 

その計画を相談するために集まった
四十余人の尊王攘夷派が池田屋に集会中、
新撰組が市中を警備し、探し出して摘発したのです。

 

 

池田屋事件の場所について

京都の江戸時代をあるく―秀吉の城から龍馬の寺田屋伝説まで

池田屋事件の場所は、
京都三条木屋町(三条小橋)にあった
”池田屋”という名前の旅館です。

池田屋の建物は、1960年頃まで
残っていたと言われています。

 

しかしやがて取り壊され、
跡地にはパチンコ店やテナントビルが
転々と建設されていたそうです。

 

現在は、居酒屋となっていて
大きい階段があったりと、当時の
池田屋を再現した内装になっています。

また新選組の隊士の名前が入った
コース料理、新撰組をテーマにした
アニメとのコラボレーションをしたりと
新撰組ファン必見の店となっています。

 

 

池田屋事件の関係人物について

新撰組顛末記 (角川新書)

ここでは
池田屋事件の関係人物
紹介していきます。

 

新撰組で、池田屋事件に
参加した人物は以下の通りです。

※諸説あり。

新選組の近藤隊
新選組の土方隊

 

沖田総司は諸説ありますが、
この池田屋事件で奮戦中に肺結核による
喀血し、戦線離脱したと言われています。

 

最後に

土方歳三日記 上: 生い立ち、上京、新選組結成、そして池田屋事件 (ちくま学芸文庫)

この記事では
池田屋事件の関係人物や
事件の場所についてなどなど
池田屋事件について
なるべくわかりやすく簡単な言葉で解説しました。

 

少しでも役に立てば幸いです。

 

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