日清戦争(にっしんせんそう)は、明治時代に
日本が初めて経験した外国との戦争です。
日清戦争とは何か?
どんな戦争だったのか?などなど
日清戦争について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。
日清戦争とは?
日清戦争とは
1894(明治27)年7月25日から
1895(明治28)年4月17日にかけて
日本と清国(現在の中国)の間で行われた戦争です。
豊島沖の海戦や平壌の戦い、
黄海海戦では清の北洋艦隊を打ち破る
などして日本が圧勝的な勝利を収めます。
開戦から半年後、山口県の下関で
講和交渉が進められ、1895年4月に
下関条約(日清講和条約)が結ばれます。
この戦争に勝利した日本は、下関条約で
清国から多額の賠償金を支払われたり、
台湾、澎湖諸島、遼東半島をもらうこととなります。
しかし講和条約からわずか6日後に
ロシア、ドイツ、フランスの3か国が
遼東半島の返還を日本に要求し、
日本は三国干渉を受けてしまいます。
日本と三国との国力の差を考えた日本は
遼東半島を清国へ返還しましたが、
この出来事でロシアへの対抗心が高まります。
日本はこの時の「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」を
合言葉に日露戦争へとつながっていったのです。
日清戦争の経緯
日清戦争は、日本と清国が
朝鮮の支配権を争ったのが
原因となりました。
明治維新以降、日本は
近代化への道を突き進みます。
当時は中国が
朝鮮の宗主国(そうしゅこく)として
強い力を持っていました。
※宗主国=従属国に対して宗主権を持っている国のこと。
一方日本は、朝鮮への影響力を強めて
大陸進出の足掛かりにしたいと考えたのです。
その朝鮮国内でも
清国との関係を重視する保守派と
日本にならって改革を目指す改革派の
争いが起こります。
その後1884年の甲申政変で
改革派のクーデターが失敗した為、
朝鮮では日本への反発が強まります。
そして1894年5月には、朝鮮国内で
外国人排斥と減税を求めた農民による
甲午農民戦争が起こります。
この鎮圧のため、朝鮮政府は
清国に出兵(援兵)を依頼します。
この行為は天津条約違反であった為、
日本も朝鮮へ出兵します。
これに対して農民軍は朝鮮政府と和解しますが、
日清両国は朝鮮の内政改革をめぐって対立。
甲午農民戦争の講和は日清双方の出兵理由が
なくなることなので交渉の上、
6月に同時に撤退することで合意します。
しかし、会戦の機会をさぐる
日本の陸奥宗光外相は、この合意を破棄。
代わって清国と日本の両国で
朝鮮の改革することを提案しますが、
清国がこれを拒否、さらにイギリスなど
国際情勢の動向もきっかけとなり
1894年8月宣戦を布告し、日清戦争が始まったのです。
最後に
この記事では日清戦争について
なるべくわかりやすく簡単な言葉で解説しました。