廃藩置県(はいはんちけん)は
明治時代の1871年に
明治政府が行った改革です。
はじめは
300以上もの府県に別れていましたが
1899(明治22)年に現在の3府43県となりました。
廃藩置県とは何か?
目的は何だったのか?などなど
廃藩置県について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。
廃藩置県とは?
廃藩置県とは
1871年8月29日(明治4年7月14日)に
明治政府がこれまでの藩を廃止して
府県を置いた行政改革です。
明治4年に行われたということで
明治維新の間もない頃の出来事ですね。
江戸幕府までは「藩」という単位で
274家の大名が地方を統治してきました。
明治政府はこれを辞めて
中央政府のもと「県、府」に統一して
管理することにしたのです。
ちなみにはじめは
東京、京都、大阪を”府”として
残りの政府直轄地を”県”とました。
廃藩置県の目的
明治政府が「廃藩置県」を
行った目的は何でしょうか?
それは大きく分けて2つあります。
- 中央集権化
- 財政確保
これらについて
以下で詳しく解説します。
中央集権化【廃藩置県の目的】
新しく明治政府が樹立して以降も
地方では藩主による統治が続きます。
ちなみに旧幕府領は府や県が設置され、
政府から知事が派遣されて統治を行っていた為
統治体制が府、県、藩と3分割され、
とても非効率な体制となっていました。
これでは江戸幕府の頃と変わらず
徳川家の持っていた土地が
天皇の領地になっただけです。
しかも、以前に比べて
権力や力がなかった藩では
民衆の不満も高まって、いつでも
暴動が起こってもおかしくない状況。
古い体制をなくして
実権を握りたかった明治政府は、
この非効率な体制を打破して
中央集権化を図ることを
一つの目的とし、廃藩置県を行ったのです。
財政確保【廃藩置県の目的】
廃藩置県のもう一つの
大きな目的は財政確保です。
廃藩置県を行うことによって
明治政府は日本全国の土地と人民を
直接支配できます。
土地を直接支配すれば
スムーズに税金の徴収ができるようになり
財政確保につながると考えたのです。
また当初は、
藩の反発を予想していた為、明治政府は
藩の借金を肩代わりすることを明言します。
そのため、財政難の藩は進んで
廃藩置県に従ったと言われています。
一方で薩摩藩の島津久光は
この廃藩置県に強く反対しており、
抗議の意味を込めて自邸の庭で一晩中花火を打ち上げたそうです。
最後に
廃藩置県とは何か?
目的は何だったのか?などなど
廃藩置県について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説しました。