藤原道長ってどんな人?何をした人?【わかりやすく簡単な言葉で解説】

WRITER
 
この記事を書いている人 - WRITER -

平安人物伝 藤原道長 (コミック版日本の歴史)

藤原道長(ふじわらのみちなが)
平安時代を生きた公卿、政治家です。

誕生時期:966年
死亡時期:1028年1月3日

 

娘を次々と后に立て、外戚として
藤原氏摂関政治の最盛期を築きました。

 

藤原道長とはどんな人?
何をした人だったのか?などなど
藤原道長について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。

 

藤原道長とは?どんな人?

藤原道長―男は妻がらなり (ミネルヴァ日本評伝選)

藤原道長の誕生日

藤原道長は、966(康保3)年
京都の藤原兼家と藤原中正の娘(時姫)
との間の五男として誕生します。
※藤原道長の具体的な誕生日は不明です。

 

父の藤原兼家が摂政となって権力を
握り、藤原家はさらに繁栄します。

藤原道長は5男という生まれ順であり
藤原道隆や道兼などの有力な兄がいた為
出世する見込みはありませんでした

 

それでも当時、権力のあった
藤原北家の家系である為、順調に出世し
25歳のときには権大納言にまでなっていました。

 

藤原道長と兄弟の死

990年に父の藤原兼家が亡くなります。

そして摂関となった兄の藤原道隆が大酒、
藤原道兼は伝染病により相次いで病死。

 

ここで藤原道長に順番が回ってきます。

 

藤原道長と関白の地位

しかしもう一人関白の地位を狙う人物がいました。

それは、藤原道長の兄であった
藤原道隆の長男、藤原伊周(これちか)

 

藤原道長は藤原伊周と対立しながらも
内覧、右大臣、氏長者となって
政権の首座につきます。

 

そして996年に、藤原伊周は
お忍びで女性の元に通っていた花山法皇に
誤って矢を射かける事件を起こします。

このため藤原伊周は失脚し、
藤原道長はさらに左大臣に昇進を果たします。

 

藤原道長と娘4人

藤原道長は、一族繁栄のために
自身の娘を次々と天皇に嫁がせます

 

長女の彰子(しょうこ)一条天皇との間に
敦成親王(のちの後一条天皇)を授かったため
藤原道長は外戚としての立場を確立します。

 

さらに次女は三条天皇に、
四女を後一条天皇に嫁がせます。

※ちなみに三女も後朱雀天皇に
嫁がせていますが、後朱雀天皇が
即位する前に亡くなってしまった為、
皇后にはなっていません。

 

この時期に藤原道長が詠んだ
有名な歌はこちらです。

この世をば わが世とぞ思ふ もち月の かけたることも なしと思へば

【訳】

この世は自分のためにあるようなものだ

満月のように、何も足りないものはない

 

摂政政治

1016年、孫の後一条天皇が即位すると
藤原道長はついに摂政に任じられます。

しかし摂政の地位は早々に返上して
太政大臣として権力を握ります。

 

藤原道長の最期

太政大臣となって2年後、
藤原道長はとなっています。

そして
1028年1月3日(万寿4年12月4日)
藤原道長は病死します。享年62歳。

 

死因は糖尿病であったと言われています。

 

最後に

藤原道長事典―御堂関白記からみる貴族社会―

藤原道長とはどんな人なのか?
何をした人だったのか?などなど
藤原道長について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説しました。

少しでもあなたの参考になれば幸いです。

 

 

この記事を書いている人 - WRITER -

Copyright© でも、日本が好きだ。 , 2019 All Rights Reserved.