班田収授法とは何か?【簡単にわかりやすく解説】

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班田収授法とは何か
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班田収授 (1978年) (研究史)

班田収授法(はんでんしゅうじゅのほう)
古代日本において施行された法体系です。

 

日本の律令制(法律)の根幹制度の一つで
飛鳥時代から平安時代前期にかけて行われました。

 

班田収授法とは何か?
どのような法体系だったのか?などなど
班田収授法について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。

 

班田収授法とは?

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班田収授法とは、戸籍に基づいて
6歳以上の男女に
口分田(くぶんでん)を与えて、
収穫した稲を
徴収することを定めた法律です。

与えられる口分田の大きさは
性別や身分によって異なり、死後は国に返納します。
※口分田とは、簡単にいうと、
現在の田んぼのような場所を指します。

 

この班田収授法は、
中国の均田制をもとにしています。

 

また、この時代の税制は
祖・庸・調の3種類の税金が課せられており、
班田収授法で支給された田んぼで取れた
稲はとして納めていたということです。

 

男子はこの祖(稲)以外にも
庸と調も納めなければなりませんでした。

 

この班田収授法は
後に王臣家の大土地私有化に伴って
口分田が不足するようになります。

次第にその維持が困難となってしまった為、
平安時代中期以後は行われなくなりました。

 

班田収授法が始まった時期はいつ?期間はいつまで?

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この班田収授法が制定された
具体的な時期はわかっていませんが
大化の改新以降に制定されています。

 

日本書紀では、646年の改新の詔において
「初めて戸籍・計帳・班田収授法をつくれ」
とあり、初めて班田収授法が登場します。

 

班田収授法が始まった時期は
初めて戸籍が作成されたとする670年
もしくは飛鳥浄御原令(あすかきよみはられい)
制定された689年以降と考えられています。

 

大体の時期となりますが
飛鳥時代から平安時代前期にかけての期間が
班田収授法が行われた時期となります。

 

班田収授法の内容

衣食住にみる日本人の歴史〈2〉飛鳥時代~平安時代―王朝貴族の暮らしと国風文化

ここでは
班田収授法の内容
簡単に解説していきます。

班田収授法とは、
戸籍をつくって口分田を与えたものですが
他にも細かく分けられていたようです。

性別や身分【班田収授法の内容】

班田収授法は、性別や身分によって
配られる田んぼの広さが異なりました。

6歳以上の良民の男子には2たんの
田んぼが与えられています。

2たんとは、約2300平方メートル

 

女子にはその3分の2である480歩で
賤民(せんみん)と呼ばれる最下層の身分の
男子には240歩、女子には160歩が与えられます。

1たん=360歩という単位で分け与えられました。

 

班田収授法の背景

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645年の大化の改新によって
「国家が土地と人民を直接支配する」
という方針が示されます。

この方針や原則を
公地公民(こうちこうみん)といいます。

 

この公地公民を実現するために、
国家は「戸籍」を作ることにします。

そしてその戸籍をもとにして、
公地となった土地を人民に分け与える
班田収授法が定められたのです。

 

班田収授法を定めたことにより、
公地公民の方針が実現したといえます。

 

最後に

班田収授 (1978年) (研究史)

班田収授法とは何か?
どのような法体系だったのか?などなど
班田収授法について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説しました。

 

この記事が少しでも
あなたのお役に立てばうれしいです。

 

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