伊達政宗といえば、戦乱の時代に
活躍した東北の戦国武将として有名です。
大きい三日月がつけられた兜は
伊達政宗のトレードマークです。
この記事では
伊達政宗の兜について紹介していきます。
伊達政宗の兜(かぶと)について
戦国武将にとって、鎧や兜は
身を守る武具であるだけではなく
自分自身を表現するトレードマークといえました。
その中でも、伊達政宗の兜は特徴的といえて
黒漆塗りの兜に大きな三日月がつけられた
デザインで、今でも多くの人が知っています。
また制作過程では、
兜鉢(頭を覆う部分)に
鉄砲で試し撃ちをした上で、
弾を跳ね返すことができたものだけ採用されたそうです。
伊達政宗の兜にこめられた意味
兜につけられた三日月は、ただの飾りではなく
「妙見菩薩(みょうけんぼさつ)」という
戦闘の守護者の紋のひとつなんです。
当時、多くの武将の間で
「妙見信仰」というものが広まっていました。
妙見信仰とは、仏教の一つ「道教」のことで
月や星、太陽を神として信仰するものです。
元々は周りが動いていても動かずに目印となる
北極星を「妙見菩薩」として神格化し、
武運を祈願したのが始まりとなります。
そのため一部の戦国武将たちは、星や月を
兜のデザインに取り入れたそうです。
有名な武将だと、上杉謙信も
日輪(太陽)と三日月をモチーフにした
兜を使用していました。
伊達政宗の三日月の兜も
この妙見信仰によるものだと考えられています。
伊達政宗は”月派”に属していた為、
月をモチーフにしたと言われています。
また、月でも三日月を選んだのは
デザインの好みと、戦闘中に刀の邪魔にならない為だそうです。
伊達政宗の兜は実在するのか?
現在、伊達政宗の兜は4つ
現存しているとされています。
特に、決定的な伊達政宗の兜が発見されたのは
伊達家墓所の発掘によるものです。
1687年に建設された伊達政宗の墓所である
瑞凰殿(ずいほうでん)は国宝でしたが、
1945年の太平洋戦争により焼失します。
仙台市が瑞宝殿の再建に伴い、伊達家の
許可を得て墓所の発掘調査を行いました。
当時の技術で
石灰を防腐剤がわりに使用していた為、
伊達政宗の遺骨の保存状態は良好でした。
遺骨とともに、多くの埋葬品も発見され
その中には有名な伊達政宗の兜を含めた
具足と同じものが一式埋められていたのです。
この発掘によって、伊達政宗の兜は
三日月型のデザインであったことが実証されました。
また発見された兜は、
伊達政宗が19歳のとき
人取橋の戦いにて着用した具足と考えられています。
最後に
この記事では
伊達政宗の兜(かぶと)について紹介しました。