松尾芭蕉ってどんな人?何をした人?【わかりやすく簡単な言葉で解説】

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松尾芭蕉の像
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芭蕉全句集 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)

 

松尾芭蕉(まつおばしょう)
江戸時代前期を生きた俳諧師です。

誕生時期:1644年
死亡時期:1694年11月28日

 

「俳句で有名な人は?」と聞かれたら
松尾芭蕉を思い浮かぶ人が
多いのではないでしょうか。

 

松尾芭蕉とはどんな人だったのか?
何をした人だったのか?などなど
松尾芭蕉について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。

 

松尾芭蕉ってどんな人?

松尾芭蕉 (コミック版世界の伝記)

松尾芭蕉の誕生日

松尾芭蕉は1644年(寛永21年)
伊賀国(現在の三重県伊賀市)で生まれます。
※松尾芭蕉の具体的な誕生日は不明です。

 

農民の生まれだとされていますが、
幼い頃についてはよく分かっていません。

はじめは本名である
松尾宗房(まつおむねふさ)を名乗ります。

 

松尾芭蕉と北村季吟

13歳で父を亡くし、19歳で京都にいた
北村季吟に教えを受けて俳諧の道に入ります。

 

俳諧(はいかい)とは、室町時代
流行した連歌から発展したもので、
俳句の前身といえるものです。

その俳諧に高い芸術性を加えたのが
松尾芭蕉なのです。

 

名前の「芭蕉」は、
俳句を作る人が名乗る「俳号」
と呼ばれるものでした。

 

1674年、北村季吟から
卒業の意味が込められた
俳諧作法書「俳諧埋木」の伝授が行われます。

 

松尾芭蕉と江戸

1672年、初めての句集『貝おほひ』を
三重県伊勢市の上野天満宮に奉納。

若手の代表格としての
地位を築いた松尾芭蕉は、
1675年頃に江戸に住み始め
多くの俳人達と交流します。

 

1677年、33歳の松尾芭蕉は
俳諧師の免許皆伝となりましたが、
俳句の指導だけでは生活ができず
水道工事の事務などをしていました。

 

松尾芭蕉と『野ざらし紀行』

その後深川や甲斐へ居住を移しますが、
1684年から出生地の伊賀へ向けて
『野ざらし紀行』の旅に出ます。

 

1686年に行われた春の八句会では
有名な『古池や』の句を詠みます。

古池や 蛙(かわず)飛び込む 水の音

 

このように
旅をしながら俳句を詠んでいたことや、
伊賀の出身であるということなどから、
松尾芭蕉が実は伊賀の忍者だったのでは
ないかとも言われています。

 

松尾芭蕉と『奥の細道』

おくのほそ道(全) (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)

1689年に45歳であった松尾芭蕉は、
弟子の河合曾良(かわいそら)
『奥の細道』の旅に出ます。

 

この『奥の細道』で松尾芭蕉は
約2400キロメートルも歩いたそうです。

150日間かけて歩いたということで、
一日も休まなければ、毎日およそ
16キロメートル移動していることに。

激しい山道もあったでしょうに、
45歳でかなり元気ですよね。

このような点からも忍者説が出てきているのです。

 

この旅によって松尾芭蕉の代表作
となる多くの俳句が詠まれたのと、
訪れた地で多くの弟子もできました。

 

松尾芭蕉の最期

松尾芭蕉は、門人2人が不仲となり
2人の中を取り持つために大阪へと向かいます。

 

しかし、その心労が健康に障ったのか、
松尾芭蕉の具合は次第に悪くなっていきます。

 

そして松尾芭蕉は
1694年11月28日(元禄7年10月12日)
旅先の大阪で病死します。享年50歳。

 

松尾芭蕉の葬儀には
300人以上の弟子が参列したと伝わります。

 

最後に

松尾芭蕉と奥の細道 (人をあるく)

 

松尾芭蕉とはどんな人だったのか?
何をした人だったのか?などなど
松尾芭蕉について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説しました。

 

少しでもあなたの参考になれば幸いです。

 

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