”幕末”と呼ばれる江戸時代末期には
「尊王攘夷(そんのうじょうい)」という思想が
日本の若者たちの間で大きく広がります。
日本では、その人々のことを
尊王攘夷派と呼んでいます。
尊王攘夷派とは何か?
どのような意味か?などなど
尊王攘夷派について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。
尊王攘夷派とは?
ここでは
尊王攘夷派の意味と
尊王攘夷誕生の経緯を
簡単に解説していきます。
「尊王攘夷」の意味は?
尊王攘夷とは
「尊王」論と「攘夷」論を
合わせた思想のことです。
「尊王」とは、王=天皇を敬うこと。
「攘夷」とは、外敵を打ち払うこと。
よって尊王攘夷派とは、
天皇を尊び、外敵を撃退するという
思想をもった人々のことです。
この「尊王攘夷」は
中国紀元前770年から前403年までの
春秋戦国時代に誕生した言葉です。
中国で周王朝の君主であった
斉国の桓公(かんこう)が周王を尊敬し、
他の君主と協力をして南方の異民族である
楚を討伐したことを指しています。
これを日本の国学者が流用したのが
日本国内での使用の始まりと言われています。
「尊王攘夷派」誕生の経緯
「尊王」は、当時ほとんどの
日本人に共通する基本的な思想でした。
一方の「攘夷」の思想は
どのように生まれたのでしょうか?
それは幕末期の1853年、
ペリー率いる黒船来航によって
日本国内は大きく混乱しはじめます。
日本を訪れた外国の使いの者たちは
江戸幕府に対して開国を要求します。
その外国=外敵に対抗すべく
外国人を撃退する「攘夷」を唱える
志士たちが次第に現れます。
なぜ、「尊王」と「攘夷」が
合わさったのかというと、当時の
孝明天皇が大の外国人嫌いだったからです。
日本で一番えらい天皇が
「攘夷」派であった為、日本中の
多くの人々は尊王攘夷派でした。
しかし当時の江戸幕府は
外国の武力を見せつけられます。
天皇と外国に板挟みになってしまい
どうしようもなくなった大老の井伊直弼は
天皇の許可を得ずに1858年に
日米修好通商条約を締結し、
開国せざるを得なくなります。
その結果、生活必需品が国内で不足し、
物価が上昇、庶民の生活は不安定になります。
攘夷派の人たちは
開国をした幕府を弱腰だと批判し、
外国勢力に対する反感が強まります。
欧米諸国の強さを知らない大半の日本人は
武力によって外国を打ち払って、
長年続く鎖国を維持しようと考えたのです。
これらの出来事から、
江戸幕府に不満を持つ尊王攘夷派による
運動が行われていくこととなったのです。
最後に
この記事では、
尊王攘夷の意味や
尊王攘夷派について
なるべくわかりやすく簡単な言葉で解説しました。