杉田玄白ってどんな人?何をした人?【わかりやすく簡単な言葉で解説】

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人体解剖
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蘭学事始 (講談社学術文庫)

 

杉田玄白(すぎたげんぱく)
江戸時代を生きた蘭学医です。

誕生時期:1733年10月20日
死亡時期:1817年6月1日

 

オランダ流医学を学んで
『解体新書』を完成させた人物です。

 

杉田玄白とはどんな人だったのか?
何をした人だったのか?などなど
杉田玄白について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。

 

杉田玄白ってどんな人?

杉田玄白―『解体新書』と新しい医学 (よんでしらべて時代がわかるミネルヴァ日本歴史人物伝)

杉田玄白の誕生日

杉田玄白は
1733年10月20日(享保18年9月13日)
若狭国小浜(福井県)藩医であった
杉田甫仙(すぎたほせん)の子として誕生します。

 

杉田玄白と小浜藩医

杉田玄白は17歳で希望していた
オランダ流医学の西玄哲に入門し、
本格的に医学を学ぶこととなります。

また漢学を宮瀬龍門のもとで学び、
19歳で小浜藩医となります。

 

杉田ん玄白と江戸の町医者

1757年に杉田玄白は
江戸の日本橋に開業して町医者に。

1754年に、京都の山脇東洋
初めて死体の解剖を実施します。

これに杉田玄白も刺激されて、
医学の進歩発展への意欲を抱きます。

 

しかし1765年に、
江戸へオランダ商館長らが訪れた際に
平賀源内と一緒に、彼らが滞在した長崎屋を
訪問しますが、通訳者からオランダ語の難しさを
諭されて、オランダ語習得を断念しています。

 

杉田玄白と「ターヘル・アナトミア」

1771年、杉田玄白と同郷藩医である
中川淳庵がオランダ商館院から借りた
オランダ語医学書の「ターヘル・アナトミア」を
持って杉田玄白のもとを訪れます。

オランダ語は分かりませんでしたが、
その精密な解剖図に驚き、衝撃を受けます。

杉田玄白は藩に相談し、これを購入。

 

杉田玄白と前野良沢

解体新書 完全復刻図版集

そして豊前国中津(大分県)藩医の前野良沢
中川淳庵と小塚原での死刑囚の解剖を見学し、
オランダの医学書「ターヘル・アナトミア」
の正確さに杉田玄白は感嘆したそうです。

そして前野良沢らと翻訳することを決意します。

 

杉田玄白と『解体新書』

解体新書

しかし、オランダ語の医学書を翻訳する
というのはとても大変だったようです。

”まゆ毛”の意味を説明している
1行のオランダ語を日本語にするのに
一日がかりであったという話も残っています。

 

そして3年半という月日をかけて
杉田玄白と前野良沢はオランダ医学書
「ターヘル・アナトミア」
の翻訳書を完成させて、出版します。

これが有名な『解体新書』です。

 

前野良沢は、
翻訳に不備があることを分かっていた為、
出版には消極的だったようです。

そのため、解体新書には
前野良沢の名前を出さなかったそうです。

 

また、のちの1815年に杉田玄白は
蘭学事始(らんがくことはじめ)』にて、
その時の様子を詳しく記しています。

 

杉田玄白の最期

杉田玄白は
1817年6月1日(文化14年4月17日)
亡くなります。享年84歳。

 

最後に

杉田玄白評論集

 

杉田玄白とはどんな人だったのか?
何をした人だったのか?などなど
杉田玄白について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説しました。

 

少しでもあなたの参考になれば幸いです。

 

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