金閣寺は放火された過去がある?犯人は誰?【金閣寺放火事件について。】

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火事
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金閣寺の燃やし方 (講談社文庫)

 

金閣寺(鹿苑寺)といえば
1397年に足利義満が建てたお寺であり
現在も多くの観光客が訪れています。

 

しかし、金閣寺は一度
放火された過去があるというのです。

 

この記事では
金閣寺放火事件について解説していきます。

 

 

 

金閣寺放火事件とは

童友社 1/200 日本の伝統美 金閣寺 プラモデル JD12

 

金閣寺放火事件は
1950年7月2日未明に起きました。

金閣寺(鹿苑寺)庭園内の
国宝・舎利殿(金閣)から出火の第一報があり
消防隊が駆け付けましたが、すでに激しい
炎が吹き上がっていて、全焼してしまいます。

 

幸い、けが人などはいませんでしたが
多くの建築物が焼失してしまいました。

燃えた金閣寺の建造物一覧
  • 舎利殿(金閣)【国宝】
  • 足利義満の木像【国宝】
  • 観音菩薩像
  • 阿弥陀如来像
  • 勢至菩薩像
  • 地蔵尊
  • 大元禅師像
  • 仏教経巻

国宝だけでなく、文化財6点も焼失しています。

 

 

火をつけた犯人は金閣寺の徒弟【金閣寺放火事件の犯人】

 

火のないところからの出火であった為
警察は放火と断定し、捜査します。

遺留品などから、
火をつけた犯人として
なんと金閣寺の徒弟僧である
林承賢(当時21歳)が浮上し、指名手配されます。

 

そして2日午後7時頃に、寺の裏にある
左大文字山の山中で胸を短刀で刺し、
薬物のカルモチンを飲んで自殺を図りますが、
果たせずにいたところを発見され、逮捕。

 

 

なぜ犯人は金閣寺を放火したのか【金閣寺放火事件の動機】

この犯人(徒弟僧)は、
なぜ金閣寺に火をつけたのでしょうか?

逮捕された当初の取り調べでは
世間を騒がせたい
社会への復讐などとしていました。

 

しかし実際には、重度の吃音症で
体も病弱であったことや
母親からの期待に対するプレッシャーなど
自分自身の精神的なものがあったと言われています。

ほかにも、金閣寺が観光客の参観料で
運営されていて、僧侶よりも事務職のほうが
幅を利かせていることなどもあり
犯人には社会への不満もあったことから
厭世観の複雑な感情が入り乱れていたとされています。

 

 

金閣寺放火事件の影響

 

この金閣寺放火事件を引き起こした
金閣寺の徒弟僧の心情を解き明かそうとした
作家たちが文学作品を創作します。

 

一番有名なのが三島由紀夫の「金閣寺」で、
三島由紀夫は、以下のように分析しています。

自分の吃音や不幸な生い立ちに対して
金閣における美の憧れと反感を抱いて放火した

 

水上勉の分析はこちら。

寺のあり方、仏教のあり方に対する
矛盾により美の象徴である金閣を放火した

 

これらの分析が世に出回り、
金閣寺放火事件の動機は
金閣寺の優美さを呪い、反感を抑えきれなかった
と考えられています。

 

 

金閣寺放火事件のその後

金閣寺放火事件の5年後に金閣寺
京都府の支援や浄財によって再建されています。

 

金閣寺を放火した林承賢は、
懲役7年を言い渡され、服役しますが
服役中に統合失調症が進行して26歳で病死しています。

なお、今回の犯行が行われた原因が
この統合失調症だったのではないかという指摘もあります。

 

 

 

最後に

新版 古寺巡礼京都〈21〉金閣寺

 

この記事では
金閣寺放火事件について解説しました。

 

 

PS

金閣寺の歴史や見どころについて
興味のある方はこちらの記事もぜひお楽しみください。

 

 

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