前九年の役(ぜんくねんのえき)は
平安時代中期に起きた戦いです。
後三年の役とともに、源氏が東国に
勢力を築くきっかけとなりました。
前九年の役とは何か?
どのような戦いだったのか?などなど
前九年の役について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。
前九年の役とは?
前九年の役とは、平安時代中期の
1051(永承6)~1062(康平5)年に
陸奥国(東北地方)で起こった戦いです。
東北地方で勢力を拡大していた
安倍氏と、朝廷に派遣された
源頼義が東北地方で戦った出来事です。
はじめは安倍氏が勝利をおさめますが。
1062年、源頼義は出羽(でわ)の豪族である
清原武則(きよはらたけのり)らの援助を得て、
ようやく鎮定に成功します。
前九年の役の流れ
ここでは
前九年の役の流れを
解説していきます。
安倍氏の勢力拡大【前九年の役】
1051年、東北地方の豪族である
安倍氏が、反乱を起こします。
安倍頼時は現在の岩手県のほとんどを
支配するほど力をつけていました。
そして国司の命令をきかずに
租税もおさめなくなっていったのです。
そんな安倍氏を、陸奥守であった
藤原登任(なりとう)は、兵を派遣します。
しかし結果は、安部氏の圧倒的勝利。
源頼義と安倍氏【前九年の役】
朝廷は藤原登任を交代させて、
陸奥守を源頼義(よりよし)に任じます。
安倍頼時は、源頼義に対して
反逆心はなく、服従します。
しかし、源頼義の陸奥守として
任期が終了する1056年に、源頼義の
部下が襲撃される事件が起こります。
犯人は安倍頼時の息子の阿倍貞任となり
源頼義は息子を差し出せと命じます。
しかし、安倍頼時がこれを拒否したため
本格的な戦いが起こることになります。
本格的な前九年の役
戦の途中で安倍頼時は亡くなりますが、
息子の安倍貞任、宗任らの勢力も強く
戦いは長引きます。
前九年の役の初戦は、
源頼義側が敗北します。
源頼義は、出羽国の強力な
豪族であった清原氏に援助を求めて、説得。
1062年、清原氏の援助を得て
見事安倍氏との戦いで、勝利をおさめたのです。
前九年の”役”とは?
役と乱の違いは「役」は外国との戦い、
「乱」は国内の内乱であること。
前九年の役は、当時の蝦夷地に近い
東北地方で起きた戦いであったため、
朝廷は「外国との戦い」と判断して
「前九年の役」と名付けたと考えられます。
最後に
前九年の役とは何か?
どのような戦いだったのか?などなど
前九年の役について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説しました。
少しでもあなたの参考になれば幸いです。