地租改正とは何か?目的や内容をわかりやすく解説【反対一揆についても紹介】
現在私たちは、当然のように
国に税金を治めていますが
江戸時代までは米を治めていました。
しかし、明治時代になると
明治政府は地租改正を施行しますが
そのことで地租改正反対一揆が起こります。
地租改正とは何か?
反対一揆とは何か?などなど
地租改正について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。
地租改正とは?
地租改正とは
1873(明治6)年に明治政府が行った
土地制度と租税制度の改革です。
土地の所有者をはっきりとさせて
その人たちから税金を取る法律に改正したのです。
江戸時代の封建体制から明治以降の
近代資本主義体制への転換期における
最も重要な改革の一つと言われています。
そして明治6年に国税として
導入された地租は、国の財政を長く支えた後、
還付税を経て都道県税へ移ります。
最終的には
市町村税の固定資産税の創設とともに
昭和25年7月31日付で廃止されました。
地租改正の目的
明治政府の財源の多くは
江戸幕府の土地を引き継いだ後も
今まで通り農民がおさめる米でした。
しかしお米というのは、その年の
豊作や凶作によって値段が著しく変化し、
財源が安定しないのです。
さらに全国各地の藩によって
年貢の比率がばらばらでした。
そのため、明治政府は
次の2つを目的として
地租改正を行うことにしたのです。
- 安定した財源の確保
- 全国統一の税制度の確立
江戸時代、
天領地と呼ばれる幕府の領地の年貢は
幕府の財源となりました。
しかし藩の領地の年貢は藩で徴収した為
そのままだと豊かな藩が誕生してしまい
明治政府へ反乱を起こす恐れがあります。
それらを防ぐためにも、明治政府は
一定比率の税金を集めることにしたのです。
地租改正の内容
ここでは
地租改正の内容を
簡単に紹介します。
- 課税の基準を地価とする
- 地租を地価の3%にし、現金で納めさせる
- 税を持っているのは地券を持っている人と定める
まず、明治政府は
地券を発行して、課税の準備をしました。
地券とは、
土地の所有権と地租負担の義務を
表示した証明書です。
農地の地価は田畑面積や収穫高、
平均の米価格などが決められたのです。
地租改正反対一揆とは?
民衆の立場からすると、
税金を払う相手が江戸幕府から
明治政府に変わっただけでした。
さらに、お米を現金に換えてから
納めないといけなかった為、民衆は
その価格変動も負担しなければならなくなったのです。
一方で明治政府は
毎年安定したお金が入ってきた為、
明治政府には都合の良い法律でした。
厳しい税金制度に不満がたまった民衆は
1874年から1877年にかけて
各地で地租改正に反対する
地租改正反対一揆を起こします。
茨城での真壁騒動や
三重から始まって愛知、岐阜、
境県(大阪)まで広がる大規模な一揆が起こり、
伊勢暴動では5万人の処罰者が出たそうです。
これに対して1877年、
明治政府は地租を3%から2.5%に軽減しました。
最後に
この記事では
地租改正とは何か?
反対一揆とは何か?などなど
地租改正についてなるべく
わかりやすく簡単な言葉で解説しました。