墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)は
奈良時代中期に発布された勅命です。
古くは墾田永世私有法と呼ばれ、
荘園発生の基礎となった法令です。
墾田永年私財法とは何か?
どのような法令だったのか?などなど
墾田永年私財法について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。
墾田永年私財法とは?
墾田永年私財法とは
743年6月23日(天平15年5月27日)に
聖武天皇によって発布された土地法です。
政府が開墾地の永世私有を認めた法律です。
国司の許可を得て、
開墾した土地(墾田)の私有を
認めることにしたのです。
墾田永年私財法の経緯
ここでは
墾田永年私財法の経緯を
解説していきます。
口分田の不足【墾田永年私財法の経緯】
645年以降、大化の改新によって
朝廷では、農民に土地を貸し出すという
班田収授法という政策をとっていました。
この土地のことを口分田といいます。
しかし、奈良時代に入ると
人口が増えたことによって次第に
口分田が不足していったのです。
食糧不足なども懸念した朝廷は、
問題を解決するために、新しい政策を打ち出します。
三世一身の法【墾田永年私財法の経緯】
723年に朝廷から
三世一身の法(さんぜいいっしんのほう)が
発せられます。
三世一身の法とは、朝廷が与える
口分田とは別に、新しく土地を
開墾した者には、3世代に限って
開墾地の私有を認める法律です。
しかし、荒れた土地を開墾するのは
大変な労力と時間がかかったために、
朝廷が思うよりも土地の開墾は進みませんでした。
また、この頃は
地震災害や伝染病なども相次いだため、
聖武天皇は都を移したり、全国に国分寺を
建立したり、奈良の大仏を造立するなどして、
朝廷の財政状況がとても厳しくなっていました。
そこで、朝廷は三世一身の法を
墾田永年私財法にかえることによって、
当時の状況を打破しようと考えたのです。
墾田永年私財法の結果
墾田永年私財法の結果、
貴族や社寺による大規模な
墾田の私有が盛んになります。
また墾田永年私財法の施行によって
広大な土地を得ることができた
貴族や寺社と、農民たちとの間の
貧富の差は拡大していくことになります。
大化の改新以降に示していた
「国家が土地と人民を直接支配する」という
方針や原則である公地公民は崩壊していきます。
のちに、この墾田永年私財法によって
墾田の開発が進んでいき、荘園に発展していくのです。
最後に
墾田永年私財法とは何か?
どのような法令だったのか?などなど
墾田永年私財法について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説しました。
少しでもあなたの参考になれば幸いです。