結論からいいますと
伊達政宗の死因は不明です。
病死説や暗殺説などが
様々な説が推測されていますが
その真実は明らかになっていません。
- 伊達政宗の誕生日:1567年9月5日
- 伊達政宗の命日:1636年6月27日
※伊達政宗の最期の年齢は68歳
伊達政宗の最期の年齢から考察すると、伊達政宗の死因はなんらかの病気でも不自然ではありません。
また、伊達政宗の最期の言葉(辞世の句)から考察してみると、暗殺された可能性が低いことがわかります💡
伊達政宗は、戦国時代(室町時代末期)を生き
今もなお名が知られる有名な戦国武将の一人。
※伊達政宗は東北地方で活躍した武将です。
「最後の戦国大名」とも呼ばれた
伊達政宗の最期(さいご)は
どのようなものだったのでしょうか?
この記事では
伊達政宗の死因について
最期の言葉(辞世の句)も紹介しながら
簡単にわかりやすく紹介していきます。
伊達政宗の死因で有力な説とは?【伊達政宗の死因考察】
伊達政宗の死因を考察します。
残っている記録によれば、
晩年の伊達政宗は食事不振と
嚥下困難であったそうです。
※嚥下=口の中の食べ物を胃にのみ下すこと。
これらの症状などからも
次の死因が有力とされています。
- 食道癌(食道噴門癌)
- 癌性腹膜炎
食道癌(食道噴門癌)【伊達政宗の死因考察】
伊達政宗の死因として
食道癌(しょくどうがん)が
その候補に挙がっています。
つまり、「癌(がん)」です。
令和時代の日本でも
この食道がんで死亡する方は
年間で約1万人以上もいます。
この食道癌は、悪化してくると、
食べ物を食べたときに違和感が残ります。
がんが進行するにつれて、食道の内径が狭くなり
固形の食べ物を飲み込むことが困難になるため
伊達政宗の最期の症状に近いと考えられています。
伊達政宗の死因としてこの食道癌が最も有力だとされています💡
癌性腹膜炎【伊達政宗の死因考察】
癌性腹膜炎(がんせいふくまくえん)とは
どのような病気なのでしょうか?
がん性腹膜炎はがんが進行してお腹の中にがん細胞が飛び散り水が溜まった状態のことです。
胃がん、大腸がん、膵臓がん、卵巣がんなどが進行するとがん性腹膜炎を起こすことがあります。
症状はお腹が張る・悪心・腹痛・食思不振などで、程度がひどい場合には腸閉塞や腎不全の原因になることがあります。
つまり、ものすごく簡単にまとめると
「癌(がん)」が進行した後に起きる病気。
がんには食道ガン以外にも
様々な種類のガンがあります。
伊達政宗の死因が
たとえ食道癌ではなくても
他の癌(がん)にかかっていて
この癌性腹膜炎が最期の引き金を引いた。
そういう可能性も考えられます。
どちらにしても
伊達政宗の死因は病死
である可能性が高いそうです。
死に際の伊達政宗【伊達政宗の最期や死因を考察】
伊達政宗は、辞世の句を残しています。
※辞世の句=死に際に詠んでこの世に残す和歌。
伊達政宗の辞世の句は
非常に有名な短歌(和歌)の1つです。
※伊達政宗は詩歌が優れていたと言われています
辞世の句から考察する伊達政宗の最期
【伊達政宗の辞世の句】
曇りなき 月の心を 先立てて 浮世の闇を 照らしてぞ行く
【伊達政宗の辞世の句の意味】
曇りなき夜空の月の光が暗闇を照らすように、己(おのれ)の曇りなき心(信念)を頼りに、先のわからないこの世の中を進み続けた
※伊達政宗の辞世の句の意味について調べると複数の和訳がでてきますが、だいたいの意味は一緒です
関連:伊達政宗の辞世の句(最期の言葉)とは?意味もわかりやすく簡単に解説
伊達政宗の辞世の句の内容からも
事前に死を覚悟していた様子がわかります。
そのため、伊達政宗の死因として
暗殺などはとても考えにくいです。
はっきりとした死因は不明ですが、ガンなどの病気が原因となって、伊達政宗はこの世を去った可能性が高いといえます。
ただ、繰り返しになりますが伊達政宗の死因は明らかになっていません。
伊達政宗は戦国時代(室町時代末期)を生きた人なので、はっきりとした最期の記録がありません。
伊達政宗はいつ最期を迎えた?【伊達政宗の死亡時期】
伊達政宗は、江戸時代の前半に
その最期を迎えたとされています。
室町時代の後半に誕生したので
68歳まで生きた計算となります。
- 伊達政宗の誕生日:1567年9月5日
- 伊達政宗の命日:1636年6月27日