織田信長はどんな性格だったと思いますか?
怖くて残忍…そんなイメージを持つ
人がもしかしたら多いかもしれませんね。
この記事では
織田信長の短所や長所を解説しながら
織田信長の性格について解説していきます。
織田信長は残忍な性格!?短所な一面とは?
どうして織田信長は、私たちに
怖くて残忍な性格と思われているのでしょうか?
それは織田信長の性格を表す
一番有名な言葉が影響しているでしょう。
鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス
これは、ホトトギスが鳴かないときに
どんな対応を取るのか、つまり
思い通りの結果が出せないときに
どのような行動をするのかを表しています。
ここに、織田信長の性格を
理解するヒントがあります。
織田信長の場合だと、
短期で荒々しい性格であったことが
この川柳で表現されています。
こんな川柳が伝えられるなんて
織田信長はどんな恐ろしいことをしたのでしょうか?
織田信長はとにかく容赦しない性格
有名なエピソードは、やはり
比叡山延暦寺の焼き討ち。
寺院はもちろんのこと、女子供も
容赦なく焼き討ちにしてしまいます。
他にも、まだ織田信長が若い頃、
家督相続の際に弟の信行を擁護して
信長を退けようとした家臣たちを
20年以上たってから、その話を理由に追放しています。
これは織田信長の
かなり執念深い性格が表れています。
また、ルイス・フロイスは
織田信長のことを次のように記しています。
- 常に武技を好む
- 荒々しく野生的である
- 傲慢で神をも恐れぬ
- 部下の進言を聞き入れることは滅多にない
他にも、教育係の平手政秀は
織田信長の奇特な行動を諫めるために切腹したと言われています。
織田信長は優しい!?実はこんな長所も!
先に短所として
残忍で容赦ない性格を紹介しましたが、
実は織田信長にも、優しい一面があったのです。
「信長公記」の中にこんなエピソードが。
織田信長が岐阜と京都を行き来している
時期があり、その道中に障害があるせいで
普通の生活を送れずにいた男を哀れに思います。
そこで、ある日村人達を集めて木綿20反を
金に換えてその男に小屋を建ててやるように言います。
お寺と女子供を焼き討ちした同一人物とは思えない程、とても心温まるエピソードです!
織田信長は身分にとらわれなかった
織田信長は、当時では珍しく
身分にとらわれない一面もありました。
若い頃「尾張の大うつけ」
と呼ばれていた織田信長は、
庶民たちと相撲をしたり、
お祭りでは一緒に踊ったりと
庶民と分け隔てなく接したエピソードが多く残っています。
織田信長は家臣たちには厳しいですが、
立場の弱い者たちに対する心配りを忘れなかったようです。
最後に
この記事では、
織田信長の長所や短所など
織田信長の性格について簡単に紹介しました。