徳川家康はどんな性格だったのか?【徳川家康の性格を徹底分析】
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徳川家康は、250年以上も続いた
江戸幕府を開いた人物で、
日本で知らない人はおそらくいないでしょう。
そんな徳川家康とは
どんな性格だったのでしょうか?
この記事では徳川家康の性格について
エピソードとともに紹介します。
目次
徳川家康はどんな性格だったのか?
徳川家康は、逸話やエピソードから
次のような性格だったと考えられます。
- 我慢強い性格
- 律儀で義理堅かった
- 倹約家だった
以下で解説していきます。
我慢強かった【徳川家康の性格について】
徳川家康の性格を表す
一番有名な川柳があります。
泣かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス
戦国時代の三英傑とされた
織田信長と豊臣秀吉にもそれぞれ
鳴かないホトトギスに対して
どんな性格かで行動を表す川柳が作られています。
つまり、思い通りの結果が出せないときに
どのような行動をするか、ということです。
この川柳から分かるように、
徳川家康は我慢強い性格だったといえます。
徳川家康は幼少期の10年間、
今川氏の人質としての生活を強いられました。
そのときの経験も、
この我慢強い性格と関係しているかもしれませんね。
義理堅くて律儀だった【徳川家康の性格について】
戦国時代は、下克上もあったり
裏切ったりなどが当たり前の時代でした。
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しかし、徳川家康はこの時代では珍しく
律儀で義理堅かったと伝えられています。
律儀な性格がわかる話が
徳川家康と織田信長の同盟で、
これは織田信長が死ぬまで続きました。
途中で織田信長の義弟だった
浅井長政の裏切りにあい、
徳川家康が挟撃されたときにも
織田信長との同盟は破棄せず、
望まずしてしんがりをつとめました。
倹約家だった【徳川家康の性格について】
徳川家康は、倹約家でした。
有名な質素倹約のエピソードはこちらです。
- いつも同じ着物だった
- 黄色の着物を着ていた
- 塩辛い漬物を食べさせた
徳川家康は、
汚れが目立たない黄色い着物を
いつも着用していたそうです。
そして着物が傷んで
ボロボロになってきた時に
女中が着物の新調を提案しましたが、
徳川家康は「まだ着れるではないか」
といって拒否したエピソードがあります。
他にも、いつもご飯を
おかわりする奥女中がいたために、
漬物を塩辛くしておかわりを減らすようにした
という話もあります。すごいですね。
家臣を大切にした【徳川家康の性格について】
徳川家康の家臣は
精強な武士たちが集まっていました。
織田信長などの場合は、
金を餌に家臣を集めていましたが、
徳川家康は、今いる家臣たちを
強くすることにも注力しました。
また、武田氏が滅びた際には、
強くて有名だった武田の元家臣たちも雇い入れ、
徳川家康はさらに有能な家臣たちが集まります。
他にも、家康は家臣の意見をしっかりと聞き、
参考にしていたことも部下思いといえるでしょう。
最後に
この記事では
徳川家康の性格について分析しました。