家督とは何か?「家督を継ぐ」ってどういう意味?【わかりやすく徹底解説】
鎌倉時代や室町時代など
歴史についての資料を見ていると
よく「家督を継ぐ」という言葉が
出てくることがありますよね。
「家督」とは何なのでしょうか?
「家督を継ぐ」とはいったい
どういう意味なのでしょうか?
この記事では
家督について
わかりやすく徹底解説していきます。
※家督の読み方:かとく
目次
家督とは何?【簡単な言葉でわかりやすく解説】
まず”家督”とは何でしょうか?
辞書には次のように書かれています。
家督(かとく)
- その家を継ぐべき子。あととり。嫡子。
- 相続すべきその家の財産、事業などの総体。跡目。
- 民法旧規定で、戸主の身分に備わる権利と義務。戸主の地位。
- 中世、一門・一族の長。棟梁。
- 江戸時代、武士が、主君から与えられた封禄。跡式。
家督とは、簡単に言うと
その家の長、家の財産まで
広い範囲で使われる言葉です。
家督を継ぐってどういう意味?
「家督を継ぐ」とは
その家の長を継ぐという意味で
考えるのが一番わかりやすいと思います。
時代で「家督」の意味合いも変化
家督という言葉一つで、
かなり多くの意味を含んでいます。
これには、時代によって「家督」の
意味が少し違うことも理由の一つ。
平安時代から南北朝時代までは、
本家と分家を含む一門の長を家督と呼びました。
室町時代には、家督は各家の家長を
意味するものとなり、江戸時代には
家の財産を指すようになったのです。
時代によっての家督について
以下で簡単に解説します。
- 平安時代の「家督」
- 鎌倉時代から南北朝時代までの「家督」
- 室町時代や戦国時代での「家督」
- 江戸時代での「家督」
- 明治時代での「家督」
平安時代の「家督」
古くは平安時代から
家督という言葉は使われていました。
平安時代の家督とは、
本家、分家の一族の首長のことです。
家督は、本家の嫡子(跡継ぎ)が代々相続して
戦いの際には一門の統率者として戦います。
財産を分与された分家の人たちも
それぞれ一家を創立しますが、本家の家督の軍事的統率に服しました。
鎌倉時代から南北朝時代までの「家督」
鎌倉時代には家督の嫡子単独相続、
遺産の分割相続が原則とされました。
家督と一族の仲間との所領については
跡取りとそれ以外の子に土地を分けながら
その中の1子である嫡子に全部の土地を支配させる形態となっていました。
室町時代や戦国時代での「家督」
室町時代になると、
財産の単独相続法が発達します。
父が持っている土地は嫡子一人が相続し、
他の子どもはその援助を受けるようになります。
家督と一門の団結がくずれていき、
各家の家長を意味するものとなります。
江戸時代での「家督」
江戸時代には、
死亡による相続を跡目相続
(大名の場合は遺領相続)とよぶのに対し、
隠居による相続を家督相続と呼ぶようになります。
この時代の家督とは家産の意味を指し、
庶民の間でも家産を家督と称しました。
明治時代での「家督」
明治時代にも「家督」の言葉は使われました。
それは1898年に施行された旧民法で
「家督相続制度」があったのです。
簡単に言うと、何人か兄弟がいても関係なく
基本的には長男が家督相続人となって
家の財産をすべて受け継ぐというものです。
他の兄弟は一切の家の財産を
もらうことはできなかったのです。
1947年にこの制度はなくなりました。
最後に
この記事では
家督(かとく)とはいったい何か?
「家督を継ぐ」とはどういう意味なのかを
なるべく分かりやすく徹底解説しました。
この情報がすこしでも
あなたのお役にたてばうれしいです☺