桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)は
戦国時代(室町時代後期)に行われた戦いです。
開戦時期:1560年5月
終戦時期:1560年6月
この戦いに勝利した織田信長は
天下統一へ前進することとなります。
この記事では
桶狭間の戦いとはどんな戦いだったのか
決戦の場所はどこだったのか?などなど
桶狭間の戦いについて
なるべくわかりやすく解説していきます。
桶狭間の戦いとは?わかりやすく解説
まず、桶狭間の戦いについて簡潔に説明します。
桶狭間の戦いとは、
1560年6月12日(永禄3年5月19日)に
尾張国桶狭間で行われた
織田信長と今川義元の戦いです。
今川軍2万5千に対して、3千の織田軍が奇襲し
織田信長が今川義元を討ち取って勝利しました。
この戦いによって、
東海道で権力を握っていた今川家が没落し、
勝利した織田信長が全国制覇するきっかけをつくるのです。
- 桶狭間の戦いが起こるまで
- 桶狭間の戦いはどんな戦いだった?
桶狭間の戦いが起こるまで
今川義元は駿河、遠江、
三河、尾張の東部を支配し、
100万石の領地を持つ大名でした。
それだけではなく甲斐の武田氏や
相模国の後北条氏とも同盟を結んでいて、
さらに西への領地拡大を図ろうとします。
しかし、尾張国では
斯波氏の家臣であった織田家が力をつけ、
今川氏と三河・尾張両国の領地争いが起こるのです。
桶狭間の戦いはどんな戦いだった?
今川義元は1560年5月に
駿河、遠江、三河の2万5千の兵を動かし
大規模な侵入をします。
織田信長はこれに対して、
砦を築いて防戦しましたが、
今川軍に砦を落とされます。
1560年5月19日の午後、
視界が悪くなるほどの豪雨が発生。
そのため、今川義元らの軍勢は
桶狭間の北方にある田楽狭間にて休憩を取ります。
織田信長はこれに乗じて
3000人の兵を進め、
今川軍に奇襲をかけたのです。
今川軍の総勢は2万人ほどでしたが、
今川義元を守る兵力は5000人程度だったので
最終的には今川義元と織田信長の
大将同士が刀を交える戦となります。
今川義元は馬に乗って退却しようとしますが、
何度も襲われるうちに兵を見失い、敵に追いつかれます。
それでも今川義元は抵抗して
服部一忠を返り討ちにしますが、
毛利良勝によって首級を奪われました。
桶狭間の戦いの、決戦の場所はどこ?
桶狭間の戦いが行われた場所は、
名前にもある通り尾張国桶狭間です。
尾張国桶狭間とは、現在の
名古屋市緑区と豊明市です。
桶狭間という名前から、
山間部なイメージがあるかもしれませんが、
平地と緩やかな丘陵地で形成されています。
歴史に名を残した
桶狭間の戦いが行われたこの地には、
戦にゆかりのあるものが数多く残されています。
例えば名古屋市緑区には、
「桶狭間古戦場公園」や
「長福寺」、「桶狭間神明社」などが存在します。
名古屋市緑区の東に隣接する豊明市には、
国の史跡「桶狭間古戦場伝説地」があります。
最後に
この記事では
桶狭間の戦いはどんな戦いだったのか
決戦の場所はどこだったのかなどを
なるべくわかりやすく解説しました。
少しでもあなたの参考になれば幸いです。