坂本龍馬の死因について。【閲覧注意】

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暗殺
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幕末期の日本を変えようとした
志士として有名な坂本龍馬

 

そんな坂本龍馬は、33歳のときに
短い生涯を終えることとなります。

 

 

 

この記事では
坂本龍馬の死因について解説していきます。

※坂本龍馬の遺体や
その時の坂本龍馬の脳の状態について
様々な人の証言からその謎をひも解いていきます。

 

 

坂本龍馬の死因は暗殺?

幕末志士の死亡診断書

 

坂本龍馬の死因は
暗殺されたことによるものです。

 

慶応3年11月15日(1867年12月10日)に
京都河原町近江屋の母屋2階にて
中岡慎太郎や山田藤吉と共に
何者かによって殺されました。

 

ただ、坂本龍馬が
誰に殺されたのかについては、諸説あります。

 

坂本龍馬の暗殺について、
興味のある方はこちらも是非。

 

坂本龍馬は多方に敵が多く、
犯人と思われる組織がいくつも存在していました。

 

 

<閲覧注意>坂本龍馬の死因について【脳をやられた?】

世界一よくわかる坂本龍馬 (祥伝社黄金文庫)

 

ここではどのように
坂本龍馬が亡くなったのかをまとめます。

 

坂本龍馬は、まず額を横に斬られます。

抵抗しようと、後ろの床の間に置いていた
刀を取ろうとした際に、背中を斬られます。

龍馬は刀を手にして振り返った時に
鞘ごと相手の太刀を受け止めました。

しかし恐らく血で滑ったようで、
相手の刀はそのまま龍馬の脳天を叩き切って
漿(のうしょう)が飛び散ったそうです。

※脳漿=脳の内部の空間を満たす液。

 

この太刀を受け止めた鞘は18㎝、
刃は9㎝も削れていたとされていることからも
強烈な一撃であったことが考えられます。

 

 

谷干城の証言「脳をやられた」【坂本龍馬の死因について】

熊本城を救った男 谷干城 (河出文庫 し 16-2)

坂本龍馬のことを厚く尊敬していた
土佐藩の谷干城(たに たてき)は、
2日間だけ存命した中岡慎太郎の証言に
基づいて次のように述べています。

坂本は非常に大きな傷を負っており
額のところを5寸ほどやられているから
この一刀で倒されたのであろうが、
後ろからもやられて背中に袈裟掛けに斬られていた。

刺客は2人でコナクソと話した。

龍馬は「石川(中岡の偽名)刀はないか?
刀はないか?」と話し、階段まで這って
脳をやられた。もういかん。」と言って絶命した。

刺客は龍馬と中岡が倒れたのを確認し
「もうよい。もうよい。」と言い、引き上げた。

※コナクソとは、伊予弁(愛知県の方言)ではないかと考えられています。

 

 

坂本龍馬は、額に刀を深く斬りこまれ
その他にも数か所の傷を負わされ
ほぼ即死に近い状態だったようです。

 

坂本龍馬の遺体【坂本龍馬の死因について】

真・坂本龍馬〜死を賭して戦った2000日の真実〜 (ナガオカ文庫)

 

また、谷干城(たに たてき)は、
坂本龍馬の遺体見分もしています。
※遺体見分とは、簡単にいうと
「遺体の調査」のことです。

 

坂本龍馬の額は、
横に15㎝ほど
斬られていたと
証言しています。

 

中岡慎太郎の証言にある、
坂本龍馬の「脳をやられた」という発言と
遺体見分をした谷干城の証言からも
頭部の損傷が直接の死因と考えられます。

 

「土佐坂本龍馬伝」には

”龍馬は全身34箇所の傷があった”

と記されています。

 

 

最後に

坂本龍馬 (やさしく読める ビジュアル伝記)

この記事では、坂本龍馬の遺体や
その時の坂本龍馬の脳の状態について
様々な人の証言からその謎をひも解きながら
坂本龍馬の死因について解説しました。

 

 

 

 

 

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